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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第19話

 苦虫を噛み潰したような表情をして、直次は途中で読むのを止めた。
 相変わらず、弟への深い愛情と、古武術を学べることへの純粋な喜びに溢れた文面だった。
 能力や経験だけでなく、性格などでもおよそ勝てる要素が見当たらない。ほがらかでいて、天才。
 そんな兄だからこそ、直次は苦手だった。

「へぇ……ここが古武術道場なのね。わたし、古武術道場を見たのって初めて。冬だからかな、空気がピンと張りつめている気がする……。ねえ、直次くんもここで稽古しているんでしょ?」
 ことさら明るい声を上げて、古武術道場に案内された寿美花は、直次を見つめた。
 兄からの手紙を見つけた後、直次はむっつりと黙りこんでしまっていた。お茶もそこそこに、ふたりは道場へやって来ていた。
「……ああ。ガキの頃からここで稽古してる」
「そっか……」
 寿美花は、ぐるりと見回した。広々とした道場は、学校の剣道場を思わせた。ただ剣道場にはないものもいくつかある。そのひとつに目を留めた。
「『流姿風向日』……? ……ああ、『日向風姿流』って書かれてるのね。右から左に読むんだ」
 額に飾られた流麗な太い文字を読み上げ、何気なくその下に並ぶたくさんの釘に気がついた。何かしら? と声に出さず、少し近づき、目を凝らす。
 かまぼこ板のようなものが、端に数枚掛かっていることに気づいた。師範、師範代、門下生、そして日向直次という木札もある。それが名札掛けだと気づいて、絶句した。
 たった四名だけ。師範、師範代を含めても、それだけしかいない。
 寿美花の脳裏に、直次が以前言っていた「衰退」や「必要とされていない」という言葉が蘇ってきた。釘はかつての道場生の最大数であるとするなら、彼が深刻になるのも無理はない。
 古武術道場にとってお客さんともいえる門下生がほとんどいない状況は、寿美花の手伝っている悠寿美苑の状況と真逆だった。悠寿美苑に限らず、特養は利用者が順番待ちの状態だ。
 ふいに黙りこんだ寿美花の雰囲気を察した直次は、何か言おうとしたが、上手い言葉が浮かばず頭をがりがりとかいた。
 そんな微妙な空気の中、並外れた明るい声が道場に響いた。
「ノリツグ! ケイコするだってばよ!」
 柔道着に袴を穿いた稽古着姿のカナダ人がいそいそと歩いてきた。きちんとずぶ濡れになった髪も拭いてある。
「アビー、太刀奪りの稽古から始めよう。この前やる予定だったしな」
「オーケー!」
 アビゲイルは返事して、道場の隅から黒い長剣を持ってきた。
「ファイト!」
 ほとんど不意打ちといっていいくらいのタイミングで、いきなり直次の頭を叩こうとしたので、寿美花は思わず目をつぶり悲鳴を上げそうになった。
 だが、直次は、素早く相手の横に回り込むように動き、鮮やかにその太刀を躱した。
「へっ?」
 驚く寿美花をよそに、アビゲイルは上段から何度も太刀を振り下ろす。
 それを、直次は、危なげなくかすりもせず避けている。
 よく見れば、太刀の切っ先は微妙に空気抵抗で曲がっている。つまり、見た目よりもずっと柔らかい材質でできているのだ。とはいえ、その太刀捌きは鋭い。決して、素人が偶然避けられるたぐいのものではない。
 太刀奪りの稽古はそんなふうに唐突に始まり、いきなり終わりを告げた。
「日向栄さんはいらっしゃるかしら?」
 道場の開け放たれた扉の向こうに、いつのまにか立っていた、スーツ姿の女性が訊ねてきた。腕を組んで、道場の中を見回している。
「ドウジョーヤブリか?」
 寿美花が掛けられたのと同じ言葉だったが、そのアビゲイルの声には今は警戒が滲んでいた。

「日向栄さんがいらっしゃらないのなら、……日向直一さんでもいいのだけど?」
 アビゲイルの言葉は完全に無視して、嫌みな口調で、ここにいる唯一の日向家の人間である日向直次を見ながら、スーツ姿の女は訊ねた。
 大具池不動産の好地山涼子である。
 会うのはこれでまだ二度目だが、直次の記憶に深く刻み込まれていた。老人ホームに興味を持ったきっかけでもある。
 道場の庭に面した扉の辺りで、四人は向かい合った。
 直次は自身の顔が強張るのを感じながらも、あまり口にしたくない兄のことを言った。
「……日向直一、……俺の兄は、いま世界武者修行の旅に出てて、日本にはいない」
「そう……知ってるわ」
 事もなげに好地山涼子は答えた。その目には愉快そうな色があり、観察するように直次の表情を見つめている。
「噂どおり、あまりご兄弟の仲はよくないみたいね? いいえ、出来の悪い弟が一方的に出来の良い兄に嫉妬しているというべきか」
 寿美花が一歩前に出た。その顔は少し怒りに紅潮している。
 彼女は、目の前のスーツ姿の女が何者で、直次とどういう関係か知らない。だが、あまりいい関係ではないと悟ったらしい。
 直次は、寿美花の手をそっと掴んだ。
 振り向いた寿美花は、彼の顔を見た。
「直次くん……」
 何をどう言っていいのかわからないといった困惑した様子だ。
 アビゲイルは、女と対抗するかのように腕を組んでいる。もともと大柄で武術も達者なカナダ人である。その存在感はなかなか凄い。
 四人の視線が鋭く交錯し、得も言われぬ緊張感が生まれた。
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