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いちばん大切な日

原作: その他 (原作:ダイヤのA) 作者: gajile.
目次

緊張


 忘れ物見つけた。



 沢村たちの、3年の夏が幕を閉じ、そこから、半年が経過していた。

「おい沢村、今日、御幸先輩来るってよ」

 昼休み、沢村は春市と廊下を歩いていると、金丸が正面から歩いてきたと思えば、懐かしい人の名前を口に出してきた。隣にいた春市がすかさず反応する。

「え、それ本当?」

 金丸の隣には東条が付き添い、軽く頷いていた。春市は何も反応を示さない沢村を不思議に思い、隣を見上げる。

「栄純君、御幸先輩だって」

 沢村は苦笑いを浮かべて、歯切れの悪い相槌を返しただけだった。

 ざわついた廊下に少し妙な空気が流れかけたが、春市は気を取り戻し、続きを促す。

「御幸先輩、練習見に来てくれるの?俺たち引退してるからあんまり見てもらえないかな」

 御幸はプロの世界で活躍していた。校内で誰もが知る有名な話である。きっと後輩たちも喜ぶであろう。

 金丸も東条も喜んだ面持ちだ。金丸が後輩から情報を聞き出したと答え、「今日、残るか?」と、部活に顔を出すか否かを、こちらに聞いてきていた。沢村はまるで上の空。察しのいい東条が沢村に声をかける。

「沢村、大丈夫?なんかあった?」

「え!?あぁ、いや!……あのインチキ先輩が練習見に来るなんて、緊張すんなー!俺も練習参加しちゃおっかなー!」

 放課後にどうするかを話し合っていると、昼休みの終わりを告げる予鈴が校舎に鳴り響く。

「あ、やべ、東条いくぞ。じゃぁまた放課後な」

 金丸の呼びかけに、春市は笑顔で頷き、手を振った。沢村は口元を緩めながら、自分たちも教室に戻る。

 次の授業を担当する教師はまだ来ていない。沢村はさっと鞄から携帯を取り出し、メールの受信画面を見た。それは、朝にも確認した文面。何度も目を通しているメール内容だった。


 忘れ物、取りに行くから。


 差出人は御幸一也。沢村が6日前の放課後、不意に送った、「忘れ物見つけた。」に対しての返事だった。その日の夜、就寝前に受信したメールで、御幸が練習後すぐに返事をしたということが見て取れる。

 沢村はまた鞄に携帯をしまい込み、教科書を広げ、教師が現れるのを、おとなしく待った。

 センター試験を翌月に控えた12月中旬、試験のために授業に来ない生徒もちらほらといる。沢村はスポーツ推薦で大学を決めてはいたが、自分の基礎学力を固めるためにも授業に参加していた。

 プロ野球は今頃、オフシーズンに入っているだろう。御幸の即返事もそのおかげもあってなのか。タイミングとしてはいい時を狙えたようだ。

 いつものように授業が始まる。沢村は軽く頭を横に振り、思考を切り替えさせた。



 野球部の声が響いている。御幸はそろそろ顔を見せているだろうか。沢村は練習着に着替えた後、少し緊張した面持ちで春市と金丸、東条と合流し、グラウンドへ向かっていた。降谷も聞いていたのか、途中で遭遇する。

 5人で談笑しながら速足でグラウンドへ向かう。御幸が監督の隣に並び、練習風景を見守っていた。

 一番社交的な東条を切り口に、その場へ駆け寄った。

「監督、お疲れ様です!……御幸先輩!お久しぶりです」

「おー、お前ら、元気だったか」

「はい!」

 御幸は当たり障りのない挨拶を口にして、皆の頬を緩ませる。

 沢村は5人の一番後ろに立ち、他の者と同じように表情を緩めようとするが、うまく笑えなかった。

 そして間もなく、御幸を交えた練習が始まった。



「沢村」

 練習が終わり、部員たちがグラウンドの片付けにかかっている中、御幸がとうとう声をかけてきた。

 沢村は足を止めて、ぎこちなく振り返る。野球用の眼鏡をかけ、少し笑みを浮かべている先輩に、沢村も口角だけをあげた。

「う、うっす……」

「沢村、監督たちに挨拶終えたら、忘れ物、取りに行くから……」

「……は、はぁ」

 間抜けな返事しかできない自分に焦るが、御幸はそのまま続けた。

「またメールする」




 「夏が終わったら、俺に返事を聞かせに来てくれ」――御幸に、春の時点でそう告げられていたが、もう雪のちらつく、冬になっていた。

「先輩」

 御幸と沢村が、一年前まで合言葉にしていた、「いつもの場所」で2人が会ったのは、御幸がメールすると告げて、30分が経った頃。

 室内練習場から漏れる光が、御幸の眼鏡に反射して、目元がちょうど見えない。

「せ……」

 冷たい空気が漂うなか、少しの緊張した空気が流れ、沢村の喉を詰まらせる。

 沢村は、やっと1年前の返事を告げようと、腹をくくっていた。


 まだ、先輩はあの時の気持ちのままだろうか――


 今この瞬間、言うべきセリフを決めていたのに、不意に沢村の心をよぎった不安で、思考が停止しそうになる。

「沢村、忘れ物って、何?」

 目が回りかけている沢村に、御幸が助け舟を出してくれた。

 沢村は頭を思い切り横に振って、雑念を飛ばす。そして、大きく息を吸い込み、勢いよく、両手を大きく広げたのだ。


「チャージ!!!」



 沢村が目を閉じて叫んだその先に待ち受けていたのは、紛れもなく、高らかに響く、御幸の幸せに満ちた笑い声だった。




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