監督の夢、選手の可能性
空中を縦横無尽に跳ね回り、そして高低差と緩急をつけてボールを回す。これが木戸川清修の必殺タクティクス、『フライングルートパス』。
地上でのパス交換に比べて、パスコースを確保し易く、敵の妨害も受けにくい。理論上、パスサッカーを主体とするチームは、空中でボールを回す方が理に適っている。
超次元サッカー論者の中では、この”空中パスサッカー論”は、嘗て幾度となくテーマとして挙げられ、その都度熱い議論が交わされていた。が、空中でパスを回すことなど容易では無く、結局は机上の空論と言う答えに帰結するのが常であった。
2010年現在、未だ空中パスサッカーを主体としたチームがどの国のどの年代にも存在しないのは、その為である。
この戦術の主たるデメリットとしては、体力の凄まじい浪費が挙げられる。そもそもサッカーとは、スタミナや走力を要するスポーツである。コートを走り回り、敵のマークを振り切り、ボールを追い掛ける。
その”二次元的な動き”ですらも機動力を必要とするのに、そこに空中戦という”三次元的な動き”までも組み込んだら、フルタイムで動き回れる選手など皆無だろう。
体力消耗の問題に加え、空中でのパスが通るか否かという問題もある。
地上でパスが通る、ポゼッションフットボールが成立するのは、文字通り”地に足が着いて”いるからである。地上に立っている限り、地球の重力を考慮する必要はない。
だが空中でボールを回すとなった場合、どうしても滞空時間の問題が付きまとう。
必殺技のモーションの範疇として、常人以上のジャンプ力や滞空時間を誇る選手も中にはいるが、そういった者達でも、自在に空中に留まれる訳では無い。必ず着地するタイミングが存在する。
ジャンプの高さ、タイミングは個人差がある。試合時間常に選手間の呼吸を合わせ、空でボールを回せるのか。地上に比べて、トラップミスの可能性も高まるのに、そんなことが可能なのか。その確率は、限りなくゼロに近いだろう。
こうして”空中パスサッカー論”は、実現することなく、幾度も否定と諦観に晒され、今や語ろうものなら、嘲笑の対象になるところまで失墜した。
だが…欧州をはじめ、世界各国の論者達が不可能の烙印を押した、この苔生したアイディアに、今一度命を吹き込んだ男がいた。
それが二階堂 修吾という男だった。
元プロサッカー選手で、日本代表の経験もあるとはいえ、今や一介の中学サッカーチームの監督。
そんな彼が中学時代に憧れていたのが、この理論だったのである。
仲間と意志を共有し、一糸乱れぬパスワークを空中で披露できれば、きっと楽しい。
既に空中サッカー論が、論者達の間で飽きられ始めていた時代。遅ればせながら、そんな理論があることを知った若き日の二階堂は、実現の可能性を模索して夢を膨らませていた。
だが大人達が諦めた理論を、まだ中学生の二階堂が実現できる筈がない。また、実現に到るまでの時間も人員も、持っておらず。
高校時代初めてナショナルチームに招集され、世界との実力差を痛感したのを境に。中学時代の理想は、厳しい現実によって蓋をされ、情熱の火も消されてしまった…
初めて空中サッカー論に触れ、夢を抱いた中学時代から、20余年。
母校の監督として、木戸川清修を四天王の座にまで押し上げた二階堂の下に、転機が訪れた。
3トップを務める武方三兄弟に加え、嘗ての教え子・豪炎寺が期限付きでチームに戻ってきたのだ。
雷門戦の敗北を契機に、チームプレーに舵を切った木戸川に、豪炎寺はすぐにフィットした。更に彼は、新必殺技の習得という二階堂の与えた課題をクリアしたばかりか、期待以上の成果を――即ち、3つ目の必殺シュートの会得を――挙げてみせた。
育成・指導の立場になって、豪炎寺以上の潜在能力を秘めた選手に、二階堂は出会ったことがなかった。それどころか、現役時代にも此処までの選手がいたかどうか。
そして、驚かされたのは、豪炎寺だけではない。敗北を知り精神的に成長したチームは、彼に触発され、更に奮起した。どちらかというと問題児寄りだった武方三兄弟を中心に結束し、短期間で連携プレーをものにした。
ひょっとしたら…
豪炎寺と、今の木戸川イレブンなら、遠い昔に思い描いたあの夢も、実現出来るのではないか。中学時代は持ちえなかった時間も人も、今なら足りている。練習の合間に時間を作れば、研究する余地はある。
二階堂の中で、若い日の情熱に、再び火が燈った。
長いプロ生活で知った現実によって、心の奥底に深く沈められたあの理想が、もう一度存在を主張し始めた。
ひょっとしたら…いや、このチームなら、きっと―――
若武者たちの可能性を信じ、二階堂は夢の実現へ向けて、アイディアを模索した。
つまるところ、理想と現実の折衷案だ。
幾ら理想を掲げたところで、この戦術が論者達の間で否定された理由は、二階堂も分かっていた。
木戸川イレブンの団結力や技術なら、空中でのボールキープはそう難しくない。というより、技術が高く、熟練されたチームなら、その点は頑張ればクリア出来る筈なのだ。
やはり最も熟慮すべき課題は、体力面だろう。この問題を解消できない限り、夢の実現は出来ない。
二次元的な動きに加え、三次元的な動き。これをフルタイム実現できるチームはいない。
そう。”フルタイム”で、なら――――――
地上でのパス交換に比べて、パスコースを確保し易く、敵の妨害も受けにくい。理論上、パスサッカーを主体とするチームは、空中でボールを回す方が理に適っている。
超次元サッカー論者の中では、この”空中パスサッカー論”は、嘗て幾度となくテーマとして挙げられ、その都度熱い議論が交わされていた。が、空中でパスを回すことなど容易では無く、結局は机上の空論と言う答えに帰結するのが常であった。
2010年現在、未だ空中パスサッカーを主体としたチームがどの国のどの年代にも存在しないのは、その為である。
この戦術の主たるデメリットとしては、体力の凄まじい浪費が挙げられる。そもそもサッカーとは、スタミナや走力を要するスポーツである。コートを走り回り、敵のマークを振り切り、ボールを追い掛ける。
その”二次元的な動き”ですらも機動力を必要とするのに、そこに空中戦という”三次元的な動き”までも組み込んだら、フルタイムで動き回れる選手など皆無だろう。
体力消耗の問題に加え、空中でのパスが通るか否かという問題もある。
地上でパスが通る、ポゼッションフットボールが成立するのは、文字通り”地に足が着いて”いるからである。地上に立っている限り、地球の重力を考慮する必要はない。
だが空中でボールを回すとなった場合、どうしても滞空時間の問題が付きまとう。
必殺技のモーションの範疇として、常人以上のジャンプ力や滞空時間を誇る選手も中にはいるが、そういった者達でも、自在に空中に留まれる訳では無い。必ず着地するタイミングが存在する。
ジャンプの高さ、タイミングは個人差がある。試合時間常に選手間の呼吸を合わせ、空でボールを回せるのか。地上に比べて、トラップミスの可能性も高まるのに、そんなことが可能なのか。その確率は、限りなくゼロに近いだろう。
こうして”空中パスサッカー論”は、実現することなく、幾度も否定と諦観に晒され、今や語ろうものなら、嘲笑の対象になるところまで失墜した。
だが…欧州をはじめ、世界各国の論者達が不可能の烙印を押した、この苔生したアイディアに、今一度命を吹き込んだ男がいた。
それが二階堂 修吾という男だった。
元プロサッカー選手で、日本代表の経験もあるとはいえ、今や一介の中学サッカーチームの監督。
そんな彼が中学時代に憧れていたのが、この理論だったのである。
仲間と意志を共有し、一糸乱れぬパスワークを空中で披露できれば、きっと楽しい。
既に空中サッカー論が、論者達の間で飽きられ始めていた時代。遅ればせながら、そんな理論があることを知った若き日の二階堂は、実現の可能性を模索して夢を膨らませていた。
だが大人達が諦めた理論を、まだ中学生の二階堂が実現できる筈がない。また、実現に到るまでの時間も人員も、持っておらず。
高校時代初めてナショナルチームに招集され、世界との実力差を痛感したのを境に。中学時代の理想は、厳しい現実によって蓋をされ、情熱の火も消されてしまった…
初めて空中サッカー論に触れ、夢を抱いた中学時代から、20余年。
母校の監督として、木戸川清修を四天王の座にまで押し上げた二階堂の下に、転機が訪れた。
3トップを務める武方三兄弟に加え、嘗ての教え子・豪炎寺が期限付きでチームに戻ってきたのだ。
雷門戦の敗北を契機に、チームプレーに舵を切った木戸川に、豪炎寺はすぐにフィットした。更に彼は、新必殺技の習得という二階堂の与えた課題をクリアしたばかりか、期待以上の成果を――即ち、3つ目の必殺シュートの会得を――挙げてみせた。
育成・指導の立場になって、豪炎寺以上の潜在能力を秘めた選手に、二階堂は出会ったことがなかった。それどころか、現役時代にも此処までの選手がいたかどうか。
そして、驚かされたのは、豪炎寺だけではない。敗北を知り精神的に成長したチームは、彼に触発され、更に奮起した。どちらかというと問題児寄りだった武方三兄弟を中心に結束し、短期間で連携プレーをものにした。
ひょっとしたら…
豪炎寺と、今の木戸川イレブンなら、遠い昔に思い描いたあの夢も、実現出来るのではないか。中学時代は持ちえなかった時間も人も、今なら足りている。練習の合間に時間を作れば、研究する余地はある。
二階堂の中で、若い日の情熱に、再び火が燈った。
長いプロ生活で知った現実によって、心の奥底に深く沈められたあの理想が、もう一度存在を主張し始めた。
ひょっとしたら…いや、このチームなら、きっと―――
若武者たちの可能性を信じ、二階堂は夢の実現へ向けて、アイディアを模索した。
つまるところ、理想と現実の折衷案だ。
幾ら理想を掲げたところで、この戦術が論者達の間で否定された理由は、二階堂も分かっていた。
木戸川イレブンの団結力や技術なら、空中でのボールキープはそう難しくない。というより、技術が高く、熟練されたチームなら、その点は頑張ればクリア出来る筈なのだ。
やはり最も熟慮すべき課題は、体力面だろう。この問題を解消できない限り、夢の実現は出来ない。
二次元的な動きに加え、三次元的な動き。これをフルタイム実現できるチームはいない。
そう。”フルタイム”で、なら――――――
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