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スイと狼殿

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: そばかす
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第39話

 ナハトはかつてパルス村で出会った少年のことを思い出していた。出会った当時はナハトも小さく、それほど印象に残っているつもりはなかった。けど、時が経つにつれてその少年の存在はナハトの心の中でどんどん大きくなっていった。いつのまにかナハトは魔物のクセに人間にも優しくなっていた。元々のナハトの性格のためもあっただろう。ナハト自身は、そんな自分の心境に気づいていたので、たびたび「ふん」と鼻を鳴らしていたが、「悪くない」というのが感想だった。その少年とスイがよく似ていることに、いまさらながら改めて気づいたのだ。髪の色も瞳の色も似ている気がする。ずいぶん前、しかもほんの小さい頃に一度出会っただけなので、成長していたらきっとわからないだろう。けど、スイの雰囲気はあの少年に似ている。臭いまで似ている気がする。
 そんなナハトの思案をよそに、スイがナハトに聞いた。
「ねえ、ナハト、『あの変身と一撃』って何?」
 スイはナハトを見つめている。エスカリテの口調から、ただ単にエスカリテの前でみせた狼形態になったのではないと気づいた。
 無言のナハト。ナハトの正体は極秘中の極秘。ナハトの隣に立っているアスラム王子の祖先聖王グリムナードによって、祖先である魔王ファランクスを討ち取られているのだ。仲良く並んでいることだけでも大問題だが、まさか共同戦線を張ったなどとは絶対に誰にも言えない。それはアスラム王子も同じことで、ナハトの存在そのものに、いつになく厳しい箝口令を敷いていた。
 ナハトが無言なのを見て、スイはアスラム王子とエスカリテを見た。アスラム王子は、さすがに自分が出しゃばる場面ではないと判断して黙っている。情報に危険はつきものだ。
 ナハトは黙っていた。
 スイは仕方なくため息を吐いた。
「狼になっただけだ……そういうことにしておいてくれ」
 スイはちょっと沈んでいた表情を輝かせて、
「じゃあ、これから、狼殿と呼ぶね」とわざとそんなことを言った。
 ナハトはそのスイのちょっとしたからかいをほほえんで受け流した。
「勝手にしろ」
 スイは「狼殿、狼殿、狼殿、狼殿…………」と何度も繰り返してナハトを呼んだので、はじめは余裕の態度を崩さなかったナハトも本気で苦笑しだした。
 アスラム王子は、ナハトがスイに向かって自分のことを狼殿と呼べといった分かりづらい冗談のいきさつを聞くと面白がって、「狼殿、狼殿……」とナハトを呼びはじめた。エスカリテはそんな子供のようなアスラム王子の態度にため息を吐いた。聡明で美貌の女騎士は、苦悩が似合う女性になりつつある。
「スイ。いろいろあったが、まあ、達者でな」
 ナハトはスイに向かって手を差し伸べた。
 スイはきょとんとナハトの顔を見た。黒い前髪にちょっと隠れた紅い瞳がほほえんでいる。
「ど、どういうこと?」
「どうもこうもそういう約束だろう? ザッパーとその一味を倒してお前の安全を確保するまでが、俺のもうひとつの仕事だった。それまでお前を守ると誓った。けど、これでもう……その旅も終わりだ……」
 スイがいつになく真剣な顔をしたので、ナハトはすこし言いよどんだ。
 スイの非難するような瞳を、ナハトは受け止めていた。
 ナハトは自分のこれまでのスイに対する行動を悔やんでいた。自分は魔物である。そしてスイは人間である。必ず近いうちに別れが来る。そんなわかりきったことを忘れて、いつの間にか必要以上に親しくしてしまっていた。いっしょに寝て、いっしょにご飯を食べて、そしてときには背中に乗せて駆ける。そんなことはこの世界のどこにもないこと。魔物と人間が仲良くする話など、どんなお伽噺にも存在しない。
 スイに対してきちんと一線を引くべきだった。別れがつらくなる。
 「別れがつらくなる」と思った時、スイが別れを悲しがるという意味だけでなく、自分自身も別れがつらくなると思っていることに気づいた。
 魔物と人間は相容れない、仲良くはできない。だからこそ、ナハトはパルス村でのあの出来事以来、不用意に人間の里に姿を現したりは絶対にしなかったのだ。
 ナハトはすこし懐かしさのようなものを感じていたのだろう。だから、すこしだけ昔話をした。
「むかし、俺はパルス村の近くの森に行ったことがある。なんの気なしにさ。まだほんの子供だったからな、よくわかっていなかった。ただ大人たちが人間のそばに行くなというから、行ってみたくなったんだ。……まあ、ガキだったんだな」
 そして、同じように自分のことが全くわかっていない、人間のガキに出会った、と続けた。
「そして、騒ぎが起きた。運悪くそいつが《ウィス》で、俺の方も魔物の言葉を人間の里でしゃべるとどうなるか、まだよく理解していなかった。最悪の偶然、最悪の出会いだった」
 そこまで黙って話を聞いていたスイが口を開いた。
「…………最悪の出会いなんかじゃないよ」
 ナハトはスイを見つめた。
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