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スイと狼殿

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: そばかす
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第33話

 ナハトとアスラム王子は立ち止まった。
 敵を見失ってしまったのだ。
 周囲の木はどれもこれも大の男一人では腕を回せないほど幹が太い。節くれ立ち、ツタが絡まり、重なった枝が陽光をさえぎり、木漏れ日ひとつ差さない。しかも一年中霧が出ていて視界が悪い。
「情けない……」
 アスラム王子はつぶやいた。
「ザッパーの足の速さは同胞の中でもトップクラスだ」
 戦闘能力もな、と、ナハトは胸の内でつけ足す。ザッパーは自分こそが次期魔王にふさわしいと豪語し、事ある事にナハトに突っかかってきていた。相手にしたことはない。次期魔王を決めるのは、現在の魔王と魔界の民だからだ。
 アスラム王子はナハトを見た。
「さて、敵は思ったよりもちゃんと考えて行動を起こしたらしいな」
 アスラム王子が何を言いたいのか、ナハトにはわかった。
 アスラム王子が本領を発揮する狂戦士モードは一撃の威力は極めて高いが、加減がきかない上に、大振りだった。要するに、ザッパーごとスイを斬り裂く可能性があった。
「二手に分かれよう」ナハトは言った。「俺はザッパーの臭いとスイの臭いなら例えこの樹海の中でもなんとか追うことができると思う。スイは俺が助け出すから、お前はお前の敵を倒せ」
「たしかにその方がありがたいね。スイのことさえなければ、敵が何人いようが問題ない」
 アスラム王子がそう言ったときにはナハトはもう駆け出していた。

 ナハトは限界ギリギリの速度で走り、地を蹴り、額にぶつかる灌木の枝を無視した。美しい毛に葉っぱや折れた小枝がつくのも気にせず、ザッパーの気配があると思う方向へ樹海の中を一直線に走る。
(スイ! すぐに助けてやるからな!)
 ザッパーの臭いを追ってしばらく走ると、辺りに油の臭いが立ち籠め始めた。火を防ぐことのできる魔法で全身を覆う。臭いで、ザッパーがすぐ近くだとわかった。
 ナハトの足が水溜まりを踏んだ。油だ。一帯にまかれている。
 聞き慣れたザッパーの呪文。そして一瞬後、ナハトを紅の炎が襲った。
 同時にナハトに向かって、魔力が込められた無数の矢が降りそそぐ。
 ナハトが火達磨になると、ザッパーが物陰から現れた。スイはザッパーの背後に無造作に転がされていた。眠ったままだ。
「……どうだ儂の紅の火炎の力は!」
 雄叫びを上げるザッパー。
「見よ、この力! 力! 力! 力こそ! 王たる者の証ッ!
 それを貴様はただ魔王ファランクスの血を引いているというだけで、魔界の王子面をし、儂を無視した。相手にもしなかった! 貴様がそんな態度でいるから儂のことをとるに足らない魔物だと多くの同胞が思った。
 これほどの力が! 力があるのにィィッ! 貴様のせいで王になる資格があると認められなかったのだ!」
 ザッパーは燃え上がる炎を見つめながら絶叫した。
 そして、トドメだとばかりに周囲のモームの私兵たちに矢を射るように命じ、自身も火炎をさらに強くしようと呪文を唱えるため口を開けた。
 瞬間、ザッパーとナハトの目が合った。紅の火炎のカーテン越し。それでもはっきりとわかる紅玉色のナハトの目に気づいたザッパーは、無意識のうちに後退った。
 ナハトはさきほどまで目を閉じてザッパーの絶叫を聞いていた。そしてゆっくりと目を開けて、ザッパーを見据えて言った。その声。その姿。まさしく魔界の次期王となるにふさわしい貫禄。
「貴様の言いたいことはわかった。一つ訂正をするなら、俺はお前の力を認めてはいた。その魔力、その戦闘能力、頭だって悪くない。――が、魔王たる資格はない」
「な、なぜだ!」
「聖王国の人間などと仲良くしている時点でそんなものあるわけがない」
「儂は超王モームの次に超王ザッパー様として君臨するのだ」
「それで、そのモームとかいう人間の命令に従って、超王計画の邪魔になりそうな俺を狙ったり、スイをさらったりしたのか? ていよく汚れ仕事を押しつけられているだけではないか。それにもし聖王や偉大な魔王様さえ超えるという超王なら、たかが一魔物との約束など反故にするに決まっているだろう? それともそれほどモームという男は信頼できるのかな? 貴様にだけ汚い危険な役割を振り当て、主君を裏切るような男のことを」
 ザッパーは図星をつかれて何事か喚いた。ザッパーには人望が全くといっていいほどない。手段を選ばず、王という地位に就くためなら誇りも心も何もかも捨てるような男だった。
「うるさい!」
 ザッパーが紅の火炎をさらに強くした瞬間。紅の火炎が、ナハトの周囲から立ち上る黒い炎によって、喰われてはじめた。ナハトの黒い炎がふくれるにつれて、ザッパーの操っていた紅の火炎がしぼんでいく。
「ば、ばかな……!」ザッパーはよろめき、後ろ足がスイのスカートを踏んだ。
 ザッパーはにやりと笑い、スイを人質にしようとした。
 ザッパーの敗因の数は多い。自分の火炎は強烈だと過信している反面、不安をもち、油をまいて多少なりとも火炎を強化しようとした小細工。その小細工のせいで、ナハトにやすやすと手の内を読まれた。そしてまた、人質をとって有利に立とうとして、ナハトから視線を一瞬とはいえそらした失態。
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