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スイと狼殿

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: そばかす
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第30話

 ナハトはしばらくその点在するパンくずを眺めていたが、ふいにつぶやいた。
「地図か」
 エスカリテは思わず、え? と呟いてパンくずを見つめた。たしかによく見れば点在するパンくずの位置は聖王国フィラーンの主要都市の位置に見えた。一番大きなパンくずを聖王都フィラーンとし、その周辺のパンくずは都市の位置に配置されている。
 エスカリテでさえ、すぐには気づけなかったのに、ナハトは気づいた。それもエスカリテと違ってフィラーンの人間ではないのに。他国の地図をかなりの精度で暗記していたのだ。地図を見たことがないという人間さえ多いのに他国の地図を正確に記憶しているとなると、相当教養が高いとみていいだろう。ただの狼ではないと、エスカリテはあらためて思った。さきほどの食事の様子や洗練された魔法からも窺える。
「なるほど……」
 アスラム王子はうなずく。肩から力が抜けた。
 エスカリテは、正体を見破ったため肩から力が抜けたのだとわかった。しかし、不審なのはアスラム王子がさっきより油断なく相手をみつめるようになったことだ。
「もう一度だけ聞こう。この言葉に対して一切の虚偽は許さない」
 「そんなのは俺様の勝手だ」と言いかけたナハトだったが、アスラム王子の意外な質問に驚いた。
「――貴様はスイの何だ? なぜ側にいる。なぜ力を貸す。なぜ守るような真似をする」
 ナハトはどのような高圧的な態度に出られても飄々と質問をかわすこともできた。だが、この質問に対しては真剣に悩んだ。それはナハト自身が常々思っていたことだったからだ。
 ナハトはスイに二度も助けられた。一度は森で傷つき倒れている所を。二度目はザッパーの罠にかかる手前で。二度ともスイがいなければどうなっていたか分からない。そして、スイのことを騎士のように守ると誓ったのだ。ザッパーとその一味を討ち果たすまでは。
 迷った末、アスラム王子をみつめて口を開いた。
 紅い瞳と青い瞳がぶつかる。女の姿に化けていてもナハトの迫力はアスラム王子に比肩していた。
「俺は二度あいつに助けられた。そして俺のヘマであいつに危険が及ぶ可能性がある。その危険の根源を絶つまで、俺はあいつを守ると決めた」
 アスラム王子は黙り込んだ。嘘を吐いている様子はない。しかし、自分の予想通りの正体だったとしたらそんな行動に出るだろうか? そう悩んだが答えは出ない。そんなことはありえないと今までなら断言できた。しかし、現にこのナハトはスイを守っている。
 人を見る目はそれなりに自信があった。宮廷で海千山千の老若男女に揉まれてきているのだ。
 そしてスイがナハトを心から信頼しているのを思い出した。
 アスラム王子のスイに対する評価はきわめて好意的なものだった。一言でいうと、馬鹿っぽい。一見褒め言葉ではないようにみえるが、アスラム王子は褒め言葉としてそう思っていた。馬鹿っぽい、だがしかし、馬鹿ではない。そして馬鹿っぽいゆえに計算しきれない要素をたくさんもっている。よく偉大過ぎて常人の及ぶべきものでない人を指して、天才か馬鹿のどっちかだと言うが、まさしくそれであった。スイは馬鹿か天才のどっちかだ。アスラム王子としてはとりあえず、馬鹿っぽいと好意的な意味での評価で安定していた。
「いいだろう」アスラム王子はうなずく。「そっちも質問があるならしろ」
「ある。なぜスイをそれほど気にかける? その顔、その地位、女には不自由してないだろ?」
 ナハトはちらりとアスラム王子の横にひかえている美女エスカリテを見た。ナハトから見てもエスカリテは美人で、教養も力もあり、十分魅力的な女性に映っていた。
 エスカリテはそのあけすけなセリフに真っ赤になったが、当の王子はそっけなく答えた。
「まあな。僕は地位も美貌も兼ね備え、その上、女性に優しい騎士ときている。モテないわけがない。女たちの方が放って置いてくれないよ」
 エスカリテが側で目を光らせているので、それほどおおっぴらな行動に出る淑女は少なかったが、それでもエスカリテの目を忍んではいろんな女が王子にあの手この手でアプローチをかけていた。
「で、理由は?」
「そうだな、……退屈しないから、かな」
 ナハトは測りかねたようだ。嘘を言ったようには見えないとはいえ、これほど恵まれた状況下でスイだけを丁重に扱う理由が「退屈しないから」では、普通、はぐらかされたと思うだろう。並みの度量しかもたない者なら、顔を赤くして怒ったに違いない。
 ただエスカリテだけは、それが紛れもないアスラム王子の本心であることを知っていた。アスラム王子がたびたび「退屈だ……」と激務といっていい仕事量のなかでさえつぶやくのを聞いていたのだから。
 ナハトはうなずいた。納得したわけではなかったが、それはお互い様だと思ったのだ。ナハトほどの超強大な力をもつ者が、ほとんどなんの力ももっていない娘に二度も助けられたと言われても、普通、説得力の欠片もない。
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