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スイと狼殿

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: そばかす
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第19話

 スイとエスカリテが話している間にも、ナハトの舌打ちと驚愕の声が《ウィス》の言葉となって、スイたちに聞こえていた。スイはこの程度の距離なら離れていても明確に魔物の言葉を聞くことができた。エスカリテにも声高な声は聞こえているはずだが、ナハトの悲鳴で顔色を変えるようなことはない。エスカリテが心配しているのは魔物ではなく、アスラム王子のことだけだった。
「なぜ、アスラム様ほどの方が、聖剣バルガッソーの力を解放したのかわからない……」
 アスラム王子が聖剣バルガッソーの力を解放しなくては勝てないと悟るような相手がいるとは、にわかにはエスカリテには信じられない。一対一なのだ。アスラム王子の剣と魔法はすでに神業の域にまで達している。ただの魔物の狼ごときに後れを取るわけがなかった。
「あの狼、何者だ!」エスカリテが金髪を乱暴にかきむしってスイに詰めよった。そうしてみると、まことに凛々しく猛々しい。聖王騎士団隊長としての顔だった。淑女らしさが失われているがゆえに乱暴だった。
 エスカリテはスイの両肩をつかんだ。「何者だ!」とまた叫ぶ。
 叫ばれてもスイは答えようがない。ナハトは自分の名前さえも語るのを最初は拒んでいたのだ。もちろん、あれからナハトについてスイは聞いたりしていないし、ナハトも話していない。変わった魔物だとはつねづね思っていたが、そんなことはスイには関係ない。
「友達です」
 スイが頑迷にそう言うと、エスカリテはあきれたように手を放した。こんな田舎者の、聖王のこともろくに知らない小娘相手に時間を割くのはばからしいと思ったらしい。
 スイはエスカリテに手を放されてすぐ、友人の狼ナハトにだけ聞こえるように《ウィス》の声で呼んだ。
《ナハト……ナハト…………大丈夫?》
《…………》
 ナハトと心が通じ合っているのがスイにはわかったが、ナハトは返事をしない。
《…………ちっ》
 ナハトの舌打ちが聞こえた後、眼下で凄まじい轟音がした。考え込んでいたエスカリテも、スイも思わず下を見つめる。
 眼下では、ひときわ大きな土埃があがっていた。
 その土埃は白い柱を起点に、一直線に森をかなりの長さに渡って上がっていた。おそらくただの一撃でその広範囲を攻撃したのだろう。
《……………………まずいな》
 ナハトの真剣な声が聞こえた。スイが聞いたこともないほど真剣な声だ。
《俺様の魔法がほとんど効かないわ、魔竜黒炎の類まで効果が及ばないわ、そんな化け物がいるなんてな……》
《化け物に化け物呼ばわりされるいわれはない》
 アスラム王子の声がした。
 その瞬間、スイはアスラム王子に向かって叫んでいた。
《もうやめて!》
 アスラム王子はスイの声を無視して忌々しそうにつぶやいた。
《魔物の狼風情が、この僕に聖剣バルガッソーの狂戦士モードを使わせるなんてな……腹立たしいッ!》
 アスラム王子は相当頭にきているらしいのが、その声から分かった。いつものような余裕のある態度ではない。
 その声を聞いて、エスカリテは震えた。
《アスラム様……ご無事ですか?》
《当たり前だ》
《…………》エスカリテは慎重に言葉を選んだ。《お怪我は?》
《いまのところは、重い傷はないな》
 いまのところは、という言葉にエスカリテは震えた。アスラム王子がこれほど戦って相手の能力が見極められていないというのだ。信じられないことばかりが連続している。いま下でアスラム王子が戦っているあの美しい黒い狼は何者だ、とエスカリテはまたどうしようもないことを考えた。
《……スイ》
 ふいにアスラム王子がスイを呼んだ。戦いがはじまってから、スイに声をかけたのははじめてだった。
《スイ、お前にとって、この狼野郎は何だ?》
 スイはアスラム王子の問いかけに好感をもった。アスラム王子はスイに、この狼野郎は何者だ? とは聞かなかった。あくまで、スイにとって、この黒い狼が何なのかを問うただけだった。
 スイは迷うことなく、はっきりと言った。
《友達です》
《お前は友達をベッドにしたり枕にしたりするのか》
 スイが前に思った通りの小言を、ナハトが言うのを聞いて、スイはほほえんだ。
《いやだった? ごめんね》
《……ふん》
 ナハトが荒々しく鼻息を出すのが聞こえた。ナハトとの出会いからほんの数日しか経っていないが、だいぶナハトのことが分かってきていた。この「ふん」は「気に入らないが、まあ、いいだろう」という肯定の意味だ。まことに根性の曲がった狼だ、とスイは思う。
《クソ狼……お前はどうだ?》
《盗み聞きしてやがったか、クソ王子》
 ナハトは毒づく。方法まではわからなかったが、アスラム王子が盗み聞きしていたことに気づいた。クソ狼呼ばわりされたことで。本来、そんな真似ができるはずがないと万能の魔道士でもあるナハトは言いたい所だったが、疑問の塊のような狂戦士が目の前にいるのだからどうしようもない。
《…………ふん》ナハトはアスラム王子の質問に対してずいぶんと間を置いてから答えた。
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