さんじゅうさんこめ
今日は朝から慌ただしい。
普段は仕事があまりない時はそれぞれ自由気ままに動いているというのに、今日は特に大きな事件もなく小さなものが数個あるだけで午前中で終わったというのにむしろ午後のほうが忙しない気がしてならなかった。何だというのだと若干不機嫌になりながら近くにいたSを見ればかちりと合った瞳は少しの間を置いて逸らされた。本当に何だというのだ。
「S、今日はもう仕事が終わりなので向こうでゆっくりデザート食べませんか」
一生懸命なにかを打ち込んでいた彼女がひと段落したのを見計らって問い掛けられば一瞬驚いて固まった彼女が「いつからそこに?」と瞳で訴えてくるのが分かった。いつからと言えば彼女が一息ついた後からだけれど、お互いにお互いの抱えている仕事は常に把握しているし、別段この部屋で誰かに見られたら不味いものなどない筈だ。だというのにこの反応はおかしい。普通なら見逃してしまうだろうが、一瞬彼女が自分の背後の「何か」を見たのも今は随分と不審な物に見えた。
「もしかして、私に何か隠していますか?」
「何も隠してはいませんよ。Lが誘ってくるのは珍しいと思っただけです。向こうに行きましょうか」
そう言ってLに先に行くように促してくるSはいつもよりも若干だが上擦った声を出していて明らかに緊張しているのがわかった。けれど何故かと聞いたところで素直に「実は」なんて話すくらいならきっと彼女のことだ、既に話しているだろう。加えて、仕事のことはある程度途中経過も報告するようにと義務づけてあるためその線も薄そうである。
そうなると今日の日付を確認してようやく今日朝からどこかおかしい捜査本部に納得した。
「(なるほど、日付感覚などあまりありませんでしたが今日はあの日ですか。らしくないことを考えますね、皆さんも)」
この年になって「忘れてた」なんてことはない。
そもそもあの日を忘れてた!なんてのは漫画やドラマの世界だけだと感じていた。
大体の人間は5日前からその日を意識し始める。だけど敢えて、気付いていないふりをして驚いたように見せているだけだと思っていた。
ならば、自分がすべきことはここで「もしや私のお誕生日会ですか?」なんてやぼなことを聞くことではなく、きっとこのまま何も知らないふりをしてサプライズパーティーを成功させることなのだろう。昔の私なら「くだらない」と言って壊していただろうか。事件に追われていた日々の私ならば、そうして気分を害されたところで何とも思わなかっただろう。文句を言われようが「こんな忙しい時にそんな手間をかけようとするからです」なんて更に嫌味の言葉さえ言ってしまったかもしれない。
彼らが祝ってくれるというならば、自分がすべきことは沈黙していることだけにすぎない。これじゃまるで自分まで共犯者になったような気分であるが、大体のサプライズが本人にもすでにバレているということを理解すべきである。そうして気付いても敢えて相手に伝えないことがそのサプライズでの作法であり、考えてくれた人への礼儀なのだから。
「どうかしましたか?L」
「何でもありませんよ。ただ皆さん慌ただしいと思っていたところです」
「まぁ月末なんてこんなものですよ。今日は月の最終日ですから皆さん張り切っているというか、忙しいようです」
この程度では寸分の動揺も見せないのは流石である。
瞳の揺らぎもなく、平常心で受け答えしている彼女がもし敵だとしたらその心境を読み取れるか怪しいところだ。
そうなると少しだけ、イタズラ心が芽生えてくる。
「そうなんですね。ああ、そう言えば今日はあの日ですね。」
「…あの日、ですか?」
「ええ、あの日です。忘れたんですか?」
「…日付など、あまり気にしなかったもので」
はい、嘘です。と言ったら睨まれそうだが、嘘だと感づいた。
彼女は毎日カレンダーを確認する日課を持っている。
そしてメロやマットが「何日だっけ」と言うと即答できるくらいに把握しているのを知っている。案外彼女はごまかすことが苦手のようだ。
「珍しいこともあるものですね、今日は10月31日」
「……」
「ハロウィンですよ。先程ワタリにパンプキンパイを頼んだので後で食べましょう」
「…そうですね、まだカボチャを食べていなかったので嬉しい限りです。ハウスの時は行事を大事にする習慣がありましたが、ずっと忙しかったですし」
「今日くらいは少し羽目を外してしまっても構いません。」
「そうですね」
向こうの方で「アリーさんちょっと」とマット君の声がすると慌てて立ち上がったSは言葉少なに立ち去って行った。少し意地悪がすぎたようです。
「大丈夫だった?」
「ええ、まぁ…けどもしかしたらバレるかもしれません、急ぎましょう」
今日がLの誕生日、準備は前もって済ませておいたけれど捜査本部で過ごしているLの目を盗んでパーティーの準備をするのは至難の業だった。交代交代にLの気を引くためにわざと彼の前を通って見たり、思い出したように話しかけたりとしてはいるがそのたびにLの探るような視線に全員逃げ帰ってくる現状である。世界の名探偵の目をごまかすことなんて到底無理なことなのだろうが、それでも、私たちはどうしてもサプライズとしてこのパーティーを成功させたかった。
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