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ガンダムNT:S007

原作: 機動戦士ガンダム 作者: よしふみ
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ACT030    『月の女帝』




 ―――最愛の父親へのキスを終えたミシェル・ルオは、長い髪をかき上げながら氷の棺を後にする。髪をかき上げるのは、彼女にとってスイッチだった。自分のモードを切り替えるスイッチだ。

 弱さを見せていい場所と人物は限られている。自分を……『本物の奇跡の子供』である偽りの自分を愛してくれている、ルオ・ウーミンの前だけだ。

 その他の場所では、地球でも宇宙でも、自分はある程度の強さを発揮しておかなければならないのだと、ミシェル・ルオは考えていた。

 彼女は黒い髪を結わえた後で、端末を取り出していた。そこの画面には一人の中年女性の姿が映し出されている。かつては絶世の美女とも言われたのだろうが、50代も半ばを過ぎれば美貌に限りはある。

 ただし、嫌味なまでの色気はあった。彼女が小娘だったとすれば、もしかしたらミシェルの食指も動いたかもしれない。『お父さま』は処女を失わない女との行為は、容認している。

 ……だが、50代の女にはミシェルの性欲は反応しない。同じ女の商売人としては、尊敬はしているけれど―――年を取ったからといって、あそこまで太りたくはないものね。

 囚われの今は、お肌も荒れているように見えるし……自信にあふれる女帝の瞳からは、威厳は失われたしまった。

 端末の画面に映るその中年女性の名は、マーサ・ビスト・カーバイン。アナハイム・エレクトロニクスの社長夫人であり、『ラプラス事変』において状況を悪化させた厄介者。

 世間はニュータイプに権力を与えるなんてコトには興味はないけれど……思想家やテロリストどもには政治力学として利用されることになる。

 地球連邦軍もジオン公国を筆頭とするコロニー諸勢力も、『ラプラス事変』において生じた安全保障上の課題を解決するために、途方もない事務処理手続きに追われている。

「政治ってのは、お金なのよね。貴方も知っていたハズでしょうけれど……お金で損をすると、アナハイムの社長夫人でも―――『月の女帝』だったとしても、幽閉生活ね」

 『ラプラス事変』に介入し、状況をより悪化させた原因。マーサ・ビスト・カーバインは、その責任を取らされている。

 彼女は地球連邦政府の官僚組織を舐めすぎていたのかもしれない。官僚たちは、それなりには有能なのだ。そして、多くの者は法律に従って動いている。腐敗している者たちもいるが、マジメに仕事をしている役人たちだって大勢いるのが現実だ。

 だから、権力が弱まってしまえば……今までして来たことの不法性を追求されることになる。地球連邦軍とも連邦政府と、長らくの蜜月を築いていたはずのアナハイム・エレクトロニクスであっても、社長夫人を守り切れることは出来やしない。

 彼女には、アナハイムの裏の顔である、ビスト財団における莫大な脱税の疑惑も浮上しているし、それは彼女にとって残念ながら疑惑でなく事実である。

 支払うべき税金を、彼女たちはどれだけ支払っていなかったのか。

 そして、連邦との契約違反も多々、見つかっているし……何者かがそれをリークした。何者か?……可能性が多すぎて、誰がバラしたのかは特定できやしないだろう。アナハイムの反社長派の連中かもしれないし、もしかしたら『袖付き』たちかもしれない。

 とにかく、彼女の不正は有名になって、大きなスキャンダルとしてニュースのネタにされている。そのおかげで、『ラプラス事変』についての世間的な影響は薄らいでもいる。

 突飛かつ古びた宇宙憲章などよりも、アナハイム・エレクトロニクスの社長夫人の犯罪が暴かれた方が、市民の心は騒ぐのだ。金持ちは、庶民に嫌われている。それを彼女は知ることになっただろう……。

 彼女は悪人だった。商売人としては、許容することが出来る低い倫理観の持ち主ではあるが、権力と財力で不法を行い、財をより大きくしたのだ。

 連邦軍が黙認していたからこそ、罪に問われなかった行為はいくらでもあった。それらを連邦軍が追及すれば、彼女には様々な罪状がつけられることになる。ネオ・ジオンどころか……『袖付き』に対しても兵器の供与を行っていたこともバレていた。

「……メーカーとしては、味方だけじゃなく敵にも兵器を売ることが出来れば、それは儲かるでしょうけれど。そんなことが表沙汰になれば、連邦の兵士も市民も黙ってはいない。メーカーの商業活動としての正しさはあるのかもしれないが、一般常識からすればあまりに逸脱した動きよ」

 金持ちの非常識か。テロリストに最新鋭モビルスーツを供与する?……相手から最新兵器についての開発情報と引き替えにして?……市民は戦争の本質に気がついてしまった。自分たちの命は、アナハイム・エレクトロニクスの経済活動の歯車として消費されていたのだ。

 バカなハナシではある。

 民主的な選挙が行われている以上、権力者たちは自分の議席と権力を維持するためには、マーサ・ビスト・カーバインの罪を追及する他ない。

 幸いなことに、マーサと関係のあった高級軍人の中には死亡者も多くいた。連邦軍からすれば、マーサと蜜月状態であった『一部の軍人たち』を排除することは、大きな被害を招くことではなかったのである。

 だからこそ、彼らはマーサを切り捨てた。アナハイム・エレクトロニクスも、自社を守るためには、彼女を見捨てるしかない。

 モビルスーツ界の雄も、すっかりと揺らいでいる。『袖付き』のリーダー、フルフロンタルも死亡した。これから世界は安定して行く。モビルスーツの需要は、大きく下がっていくのだ。

 マーサは何を考えていたのか?

 『フルフロンタル/赤い彗星の再来』とやらに、危険なモビルスーツを持たせて、連邦とのあいだに、モビルスーツを用いる紛争を発生させたかった…………そんなところかもしれない。

 彼女たちアナハイムは、誰よりも戦争屋だった。『シャアもどき』が戦乱を起こしてくれたなら、アナハイム・エレクトロニクスは更なる隆盛を誇っただろう……。

「でも。彼女は失脚した。悪いコトして稼いで来ると、こんな罰が下されることになるのね。お家騒動だけにしていれば良かったのに……宇宙戦争で儲け過ぎてしまって、感覚がとち狂っているのよね、このクソ女……」

 だから、失脚した。それはいい。かつては尊敬していた『月の女帝』に会いに行こう。彼女も、刑務所ぐらしよりはニューホンコンの高級住居で、気ままな余生を過ごす方がマシだろう。

 何なら、月に戻してやってもいいけれど……『フェネクス』の情報は、渡してもらうわよ。


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