六話 雨が降ったら家においで
「どうもすみませんでした!」
静かな病院の待合室で、洋の声だけがやたらと響く。
そんな洋を見る大川氏は責める素振りもなくただ黙って首を左右に振った。
「でも!」
「誰も悪くない。誰も、翔がああいう行動を起こすなんて予知はできなかった。あれがしてきたことは根深いな。むしろ、洋くんにはイヤな思いをさせてしまったね」
「そんな……」
長い時間雨に打たれていた翔は体温を奪われ発熱して倒れてしまったのだった。
洋は体が丈夫なことだけが自慢といってもいいくらい、病気らしい病気をしたことがない。
当然、常備薬などもなく、薬局に行くよりは急患で病院に行った方がいいと判断して救急車を呼んだ。
移動中に大川氏に連絡、するとかかりつけの病院があることを教えられそこに搬送してもらった。
命に関わるほどのことでもなく、最近はしっかり食事をしていたこともあり体力もありそうだから回復は早いだろうとのことだった。
しっかりと食べさせてくれていたことを何よりも感謝した大川氏は、こんなことに巻き込んで申し訳ないと何度もいう。
互いに自分のせいだといって譲らないのは、それだけ翔のことが大好きで愛しているからだろう。
だからこそ、もしかしたらこれ以上翔との関係を強くしてはいけないような気がしてきた。
これは距離を置くいい機会なのかもしれない、洋はそう思うようになっていた。
洋が再び翔と会うことになったのは、急患で運ばれてから一週間後のこと。
洋のアパートにあった翔の私物をまとめて実家に送り、それが無事に届いたと大川氏から連絡をもらった時のことだった。
翔が会いたがっているから、翔のために時間を作ってほしいと言われる。
大川氏がいうには、翔が母親以外の人物に興味を示すのは珍しく、できればこのままよい方向に向かってほしいのだという。
その気持ちは洋も同じ。
できることなら気兼ねせず友達のように兄弟のようにつき合えたらと思う。
反面、関係を続けるのは得策ではないという考えも捨てきれずにいた。
「洋さん、もう会えないかと思った」
病室に顔を出すと翔は嬉しそうにはにかみながら言う。
「それはこっちのセリフ。面会拒否されるかと思った」
冗談っぽく言う。
むしろそうしてくれた方が気持ちの整理もしやすい。
「……? 俺は、しないよ? 言ったでしょう、好きだって」
「ああ、知ってる」
「じゃあ、また一緒に暮らせるね」
「……え?」
「……? ダメなの?」
「いや、ダメっていうか。翔は聞いてないの? 治療のこと」
「知ってる。でもそれと俺が洋さんと暮らすのとは別のことでしょう? おじさんも何も言わないし」
お父さんではなく、おじさんになってる。
大川さんが真実を話したのだろう。
翔の精神状態を考えれば早い気がするが、意外なほどその事実を受け入れている翔の存在に驚く。
「おじさん……大川さん、何も言わないの?」
「うん、言わない。俺、洋さんと暮らしたいっていった。でも、なにも言わなかった」
これは洋の方から断ってほしいという事なのだろうか。
「何も言わないってことは許すってことじゃなくて、話にならないってことじゃない?」
「……どういうこと?」
「ん……ダメってことかな?」
「洋さん、さっきダメじゃないって言った」
「……あ」
翔が入院をした翌日から快晴が続いていた。
こうも晴天が続くとむしろ調子が狂うと感じるくらい、ずっと雨。
天気予報ではこの先、雨が降る予定はなく、今年の夏から秋は降水雨量が平年より少ないとまで言い出す。
そんなバカな!
春から続く雨はなんだったのか。
雨でないと本調子にならないというのもどうかと思う。
このなんともいえない重苦しい病室の空気も、快晴のせいだと洋が責任転嫁していたところへ、大川さんがやってくる。
「翔がわがままを言ったりしていないだろうか」
「……一緒に暮らしたいと。僕はわがままとは思ってませんが、実際問題、軽く頷けるものでもなくて」
「洋くんが大川の家に下宿するというのはどうだろうか?」
「……は?」
「いや、もう親バカと思ってくれて構わない。わたしはね、翔の望みを叶えてやりたい。もちろん治療にも専念してほしいがね」
「はあ……」
「洋くんは学生だから翔の相手ばかりはできないだろう? そのあたりはこちらの使用人に手助けさせることもできる」
「…………」
「……あ、いや、わたしとしたことが。ひとり先走りすぎた」
「いえ。つまり、大川さんとしては僕と翔の同居は認めてくれるということですね」
「まあ、そうだね」
そこに翔が加わる。
「やった!」
すると洋と大川の言葉が重なる。
「やった、じゃない!」
そして三人で声を出して笑う。
翔が笑っている、翔の笑顔はいつぶりだろうか。
大川の記憶には翔の笑顔はない。
洋の記憶にはあるようなないような。
だけど、今目の前で笑っているような笑顔の記憶はない。
翔の笑顔が得られるのなら……
「大川さん、お願いがあります」
「ん?」
「次、雨が降ったら翔を僕にもう一度だけ預からせてください」
翔が倒れたあの雨の日の朝からもう一度やり直したい。
もっと翔を信頼し頼ってもいいのだ。
ひとりの青年として認めれば、翔はひとりで留守番くらいはできる。
大川は洋の願いに小さく頷く。
「翔。雨が降ったら家においで。僕、待ってるから」
天気予報が当たるか、それとも僕らの絆が勝つか、その行く末は神のみぞ知るといったところだろうか。
雨の日が待ち遠しいなどと変な考えを抱きながら、再び翔を抱きしめる日が来ることを僕は待つ。
完結
静かな病院の待合室で、洋の声だけがやたらと響く。
そんな洋を見る大川氏は責める素振りもなくただ黙って首を左右に振った。
「でも!」
「誰も悪くない。誰も、翔がああいう行動を起こすなんて予知はできなかった。あれがしてきたことは根深いな。むしろ、洋くんにはイヤな思いをさせてしまったね」
「そんな……」
長い時間雨に打たれていた翔は体温を奪われ発熱して倒れてしまったのだった。
洋は体が丈夫なことだけが自慢といってもいいくらい、病気らしい病気をしたことがない。
当然、常備薬などもなく、薬局に行くよりは急患で病院に行った方がいいと判断して救急車を呼んだ。
移動中に大川氏に連絡、するとかかりつけの病院があることを教えられそこに搬送してもらった。
命に関わるほどのことでもなく、最近はしっかり食事をしていたこともあり体力もありそうだから回復は早いだろうとのことだった。
しっかりと食べさせてくれていたことを何よりも感謝した大川氏は、こんなことに巻き込んで申し訳ないと何度もいう。
互いに自分のせいだといって譲らないのは、それだけ翔のことが大好きで愛しているからだろう。
だからこそ、もしかしたらこれ以上翔との関係を強くしてはいけないような気がしてきた。
これは距離を置くいい機会なのかもしれない、洋はそう思うようになっていた。
洋が再び翔と会うことになったのは、急患で運ばれてから一週間後のこと。
洋のアパートにあった翔の私物をまとめて実家に送り、それが無事に届いたと大川氏から連絡をもらった時のことだった。
翔が会いたがっているから、翔のために時間を作ってほしいと言われる。
大川氏がいうには、翔が母親以外の人物に興味を示すのは珍しく、できればこのままよい方向に向かってほしいのだという。
その気持ちは洋も同じ。
できることなら気兼ねせず友達のように兄弟のようにつき合えたらと思う。
反面、関係を続けるのは得策ではないという考えも捨てきれずにいた。
「洋さん、もう会えないかと思った」
病室に顔を出すと翔は嬉しそうにはにかみながら言う。
「それはこっちのセリフ。面会拒否されるかと思った」
冗談っぽく言う。
むしろそうしてくれた方が気持ちの整理もしやすい。
「……? 俺は、しないよ? 言ったでしょう、好きだって」
「ああ、知ってる」
「じゃあ、また一緒に暮らせるね」
「……え?」
「……? ダメなの?」
「いや、ダメっていうか。翔は聞いてないの? 治療のこと」
「知ってる。でもそれと俺が洋さんと暮らすのとは別のことでしょう? おじさんも何も言わないし」
お父さんではなく、おじさんになってる。
大川さんが真実を話したのだろう。
翔の精神状態を考えれば早い気がするが、意外なほどその事実を受け入れている翔の存在に驚く。
「おじさん……大川さん、何も言わないの?」
「うん、言わない。俺、洋さんと暮らしたいっていった。でも、なにも言わなかった」
これは洋の方から断ってほしいという事なのだろうか。
「何も言わないってことは許すってことじゃなくて、話にならないってことじゃない?」
「……どういうこと?」
「ん……ダメってことかな?」
「洋さん、さっきダメじゃないって言った」
「……あ」
翔が入院をした翌日から快晴が続いていた。
こうも晴天が続くとむしろ調子が狂うと感じるくらい、ずっと雨。
天気予報ではこの先、雨が降る予定はなく、今年の夏から秋は降水雨量が平年より少ないとまで言い出す。
そんなバカな!
春から続く雨はなんだったのか。
雨でないと本調子にならないというのもどうかと思う。
このなんともいえない重苦しい病室の空気も、快晴のせいだと洋が責任転嫁していたところへ、大川さんがやってくる。
「翔がわがままを言ったりしていないだろうか」
「……一緒に暮らしたいと。僕はわがままとは思ってませんが、実際問題、軽く頷けるものでもなくて」
「洋くんが大川の家に下宿するというのはどうだろうか?」
「……は?」
「いや、もう親バカと思ってくれて構わない。わたしはね、翔の望みを叶えてやりたい。もちろん治療にも専念してほしいがね」
「はあ……」
「洋くんは学生だから翔の相手ばかりはできないだろう? そのあたりはこちらの使用人に手助けさせることもできる」
「…………」
「……あ、いや、わたしとしたことが。ひとり先走りすぎた」
「いえ。つまり、大川さんとしては僕と翔の同居は認めてくれるということですね」
「まあ、そうだね」
そこに翔が加わる。
「やった!」
すると洋と大川の言葉が重なる。
「やった、じゃない!」
そして三人で声を出して笑う。
翔が笑っている、翔の笑顔はいつぶりだろうか。
大川の記憶には翔の笑顔はない。
洋の記憶にはあるようなないような。
だけど、今目の前で笑っているような笑顔の記憶はない。
翔の笑顔が得られるのなら……
「大川さん、お願いがあります」
「ん?」
「次、雨が降ったら翔を僕にもう一度だけ預からせてください」
翔が倒れたあの雨の日の朝からもう一度やり直したい。
もっと翔を信頼し頼ってもいいのだ。
ひとりの青年として認めれば、翔はひとりで留守番くらいはできる。
大川は洋の願いに小さく頷く。
「翔。雨が降ったら家においで。僕、待ってるから」
天気予報が当たるか、それとも僕らの絆が勝つか、その行く末は神のみぞ知るといったところだろうか。
雨の日が待ち遠しいなどと変な考えを抱きながら、再び翔を抱きしめる日が来ることを僕は待つ。
完結
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