一話 再会は雨の日
今年の春はとても肌寒い日が続き、初夏間近になっても梅雨空が続いていた。
今年、夏という季節は来ないのかもしれない、そんなことを思いながらカフェの中から外の空を伺っていた手塚洋は、ふと雨宿りをしている人物に視線が動いた。
今日は朝から雨で、傘を持たずに外出する人はほとんどいないはず。
傘もなく、肌寒さがあるというのにヨレた半袖シャツを羽織っている。
店内は雨のため客足も悪く空席だらけ、店の中で雨宿りをすればいいのにと思う。
とはいっても、天気予報では一日中雨で傘は必須と言っていたのだが……
洋は「しょうがないな」とボヤきながら出入り口の扉を開き、雨宿りしている人物に声をかけた。
「あの、店内で休まれません?」
別にコーヒーを飲んでいけとまでは言わない。
本当に、ただ雨足が少しでも収まるまで店内にいればいいのに……くらいの気持ちで声をかけた。
声をかけられた人物は、まさか店員に声をかけられるとは思っていなかったのだろう、怯えた小動物のように顔をこわばらせ、そして唇を振るわせながら振り返る。
唇の震えは驚きと寒さからだろう。
「あ、そんな警戒しなくていいからね。僕は手塚といって、ここのカフェのバイト。キミ、震えてるのは寒さもあるからだよね? オーダーの要求はしないから、入って」
手招きをしたが、相手は動こうとしない。
それどころか、さらに警戒を強められてしまう。
まるで怯える小動物をあやすような心境になっていく。
そういえば、以前にもこんな感情を抱いたことがあったような?
デジャブにも似たような感覚になり、じっと相手の顔を見ると……
「もしかして、翔か? 大川翔、だよな? 僕のこと覚えてる? 少し前、隣に住んでた手塚洋だけど……」
少し前と言っても二年前くらいになる。
洋は大学進学を機にひとり暮らしをすることにした。
すると母は単身赴任中の父の元に行くといい、住んでいたマンションから引っ越しをした。
それまでなにかあるごとに洋の母が隣人の男の子を気にかけていた。
それが大川翔。
両親がやや育児放棄気味で、翔が小学生の頃は児童相談所の人が度々訪れていたりと、マンションの住人の中では話題の耐えない一家だった。
翔は登校拒否気味なところもあり、次第に洋が勉強を見てあげたり、たまに遊んだりしていたものだったが、大学受験を控え始めると次第に疎遠になり、そのまま引っ越してしまったことを、実は少しだけ気に悩んでいたところだった。
今更翔を訪ねにいくというのも……と思っていたところでのまさかの再会。
しかし、この再会はあまり喜ばしいものでもないことを洋は気づく。
「おまえ……どこでつくったんだ、そのアザ。まさか、また……?」
翔の家は貧乏ではない。
家族で住むには十分過ぎるくらいの広さがあるマンションに住めるくらいの収入がある家族だが、翔の父は仕事ばかりで家庭を顧みない人、また子育ては母親がするものだと決めつけるところがあった。
母親は翔を愛そうとはするけれど、それがうまく表せず虐待に走る。
手をあげることもあれば、何日も家をあけて戻らないこともあった。
洋は翔の腕にあるアザを見て、また母親の暴力を疑ったのだった。
「とにかく、中に入れ、翔」
相手が翔だと気づくと、洋は強引に腕を引っ張り店内に入れる。
乾いたタオルを従業員控え室から持ってきて手渡し、彼が濡れた頭を拭いている時にコーヒーを注ぐ。
コーヒーはある程度時間が経つと処分してしまう。
時間が経つと苦みが増し、コーヒーそのものの美味さや香りが失われ商品価値が無くなってしまう。
店内に人がいればおかわり自由という名目で提供することもあるが、今日のように客足がほとんどない時は従業員が休み時間に飲んで消費することもあるが、今のように店員ひとりの場合はほぼ処分になってしまう。
それなら翔に暖かいコーヒーをサービスした方がコーヒーも喜ばしいことだろう。
「これ、飲んで。もともと処分になる予定のものだから、お代は気にしなくていい」
そういうと、翔は無言でホットコーヒーをひと口、またひと口と口の中に入れ、飲み込んでいく。
出されたものを無言で食べる癖も昔のまま。
まだ食べる気力、意欲があったことに安堵する洋だった。
「ところで翔。どうしてここに? あのマンションからだと結構あるだろう」
実際は結構どころではない。
まず、徒歩で行こうなんて人はいないだろう。
あのマンションは駅からバスで十分はある。
このカフェは駅から電車でふた駅移動、時間にして七分くらいだろうか。
駅ふたつ分歩くなんて、よっぽどの事態にでもならないかぎりしない。
それに、洋がこのカフェでバイトをしていることを翔が知るはずもなく、それらから考えられることは、この再会は本当に偶然ということだ。
だとしても、なぜ翔がここに?
しかもここ数日雨続きで傘を持たずに出歩く物好きもそうそういないはず。
それなのに翔は傘も持たずに……
「もしかして、家出か?」
洋の言葉に翔の肩がわずかに震えた。
「おまえ、行く宛がないのに家出なんて、無謀だろう。いつから帰ってない? おじさんやおばさん、心配しているんじゃないのか?」
どんな親だって、子供が姿を消せば心配くらいはするだろう。
だけど……
「……てない」
「ん?」
「心配、してない。あの人たちが、するわけない」
ボソボソと話す翔。
「なにかあったのか?」
洋が問いかけると、翔の眼がじっと洋の顔を見る。
「……あれ? 洋……さん?」
「……おまっ、今気づいたのか!」
極限まで虐げられた時に時々放心したままだった頃のことを思い出した洋は、軽くツッコミを入れたあとうなだれる。
洋の母が気にかけていた頃は少しずつ改善の傾向があったのだが、離れてしまったことで前に戻ってしまったようだ。
「とりあえず、行くところがないなら僕のところにいればいい」
「……いいの?」
「未成年が遠慮するな。ここで待っていろ。あと少しでバイト時間が終わる」
洋がそう宣言してまもなく、次のバイトが来く。
引継を終えた洋は慌ただしく着替えて翔がいる店内に戻り、彼を連れ立って帰路についた。
今年、夏という季節は来ないのかもしれない、そんなことを思いながらカフェの中から外の空を伺っていた手塚洋は、ふと雨宿りをしている人物に視線が動いた。
今日は朝から雨で、傘を持たずに外出する人はほとんどいないはず。
傘もなく、肌寒さがあるというのにヨレた半袖シャツを羽織っている。
店内は雨のため客足も悪く空席だらけ、店の中で雨宿りをすればいいのにと思う。
とはいっても、天気予報では一日中雨で傘は必須と言っていたのだが……
洋は「しょうがないな」とボヤきながら出入り口の扉を開き、雨宿りしている人物に声をかけた。
「あの、店内で休まれません?」
別にコーヒーを飲んでいけとまでは言わない。
本当に、ただ雨足が少しでも収まるまで店内にいればいいのに……くらいの気持ちで声をかけた。
声をかけられた人物は、まさか店員に声をかけられるとは思っていなかったのだろう、怯えた小動物のように顔をこわばらせ、そして唇を振るわせながら振り返る。
唇の震えは驚きと寒さからだろう。
「あ、そんな警戒しなくていいからね。僕は手塚といって、ここのカフェのバイト。キミ、震えてるのは寒さもあるからだよね? オーダーの要求はしないから、入って」
手招きをしたが、相手は動こうとしない。
それどころか、さらに警戒を強められてしまう。
まるで怯える小動物をあやすような心境になっていく。
そういえば、以前にもこんな感情を抱いたことがあったような?
デジャブにも似たような感覚になり、じっと相手の顔を見ると……
「もしかして、翔か? 大川翔、だよな? 僕のこと覚えてる? 少し前、隣に住んでた手塚洋だけど……」
少し前と言っても二年前くらいになる。
洋は大学進学を機にひとり暮らしをすることにした。
すると母は単身赴任中の父の元に行くといい、住んでいたマンションから引っ越しをした。
それまでなにかあるごとに洋の母が隣人の男の子を気にかけていた。
それが大川翔。
両親がやや育児放棄気味で、翔が小学生の頃は児童相談所の人が度々訪れていたりと、マンションの住人の中では話題の耐えない一家だった。
翔は登校拒否気味なところもあり、次第に洋が勉強を見てあげたり、たまに遊んだりしていたものだったが、大学受験を控え始めると次第に疎遠になり、そのまま引っ越してしまったことを、実は少しだけ気に悩んでいたところだった。
今更翔を訪ねにいくというのも……と思っていたところでのまさかの再会。
しかし、この再会はあまり喜ばしいものでもないことを洋は気づく。
「おまえ……どこでつくったんだ、そのアザ。まさか、また……?」
翔の家は貧乏ではない。
家族で住むには十分過ぎるくらいの広さがあるマンションに住めるくらいの収入がある家族だが、翔の父は仕事ばかりで家庭を顧みない人、また子育ては母親がするものだと決めつけるところがあった。
母親は翔を愛そうとはするけれど、それがうまく表せず虐待に走る。
手をあげることもあれば、何日も家をあけて戻らないこともあった。
洋は翔の腕にあるアザを見て、また母親の暴力を疑ったのだった。
「とにかく、中に入れ、翔」
相手が翔だと気づくと、洋は強引に腕を引っ張り店内に入れる。
乾いたタオルを従業員控え室から持ってきて手渡し、彼が濡れた頭を拭いている時にコーヒーを注ぐ。
コーヒーはある程度時間が経つと処分してしまう。
時間が経つと苦みが増し、コーヒーそのものの美味さや香りが失われ商品価値が無くなってしまう。
店内に人がいればおかわり自由という名目で提供することもあるが、今日のように客足がほとんどない時は従業員が休み時間に飲んで消費することもあるが、今のように店員ひとりの場合はほぼ処分になってしまう。
それなら翔に暖かいコーヒーをサービスした方がコーヒーも喜ばしいことだろう。
「これ、飲んで。もともと処分になる予定のものだから、お代は気にしなくていい」
そういうと、翔は無言でホットコーヒーをひと口、またひと口と口の中に入れ、飲み込んでいく。
出されたものを無言で食べる癖も昔のまま。
まだ食べる気力、意欲があったことに安堵する洋だった。
「ところで翔。どうしてここに? あのマンションからだと結構あるだろう」
実際は結構どころではない。
まず、徒歩で行こうなんて人はいないだろう。
あのマンションは駅からバスで十分はある。
このカフェは駅から電車でふた駅移動、時間にして七分くらいだろうか。
駅ふたつ分歩くなんて、よっぽどの事態にでもならないかぎりしない。
それに、洋がこのカフェでバイトをしていることを翔が知るはずもなく、それらから考えられることは、この再会は本当に偶然ということだ。
だとしても、なぜ翔がここに?
しかもここ数日雨続きで傘を持たずに出歩く物好きもそうそういないはず。
それなのに翔は傘も持たずに……
「もしかして、家出か?」
洋の言葉に翔の肩がわずかに震えた。
「おまえ、行く宛がないのに家出なんて、無謀だろう。いつから帰ってない? おじさんやおばさん、心配しているんじゃないのか?」
どんな親だって、子供が姿を消せば心配くらいはするだろう。
だけど……
「……てない」
「ん?」
「心配、してない。あの人たちが、するわけない」
ボソボソと話す翔。
「なにかあったのか?」
洋が問いかけると、翔の眼がじっと洋の顔を見る。
「……あれ? 洋……さん?」
「……おまっ、今気づいたのか!」
極限まで虐げられた時に時々放心したままだった頃のことを思い出した洋は、軽くツッコミを入れたあとうなだれる。
洋の母が気にかけていた頃は少しずつ改善の傾向があったのだが、離れてしまったことで前に戻ってしまったようだ。
「とりあえず、行くところがないなら僕のところにいればいい」
「……いいの?」
「未成年が遠慮するな。ここで待っていろ。あと少しでバイト時間が終わる」
洋がそう宣言してまもなく、次のバイトが来く。
引継を終えた洋は慌ただしく着替えて翔がいる店内に戻り、彼を連れ立って帰路についた。
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