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アンジュ・ヴィエルジュ ~Another Story~

原作: その他 (原作:アンジュ・ヴィエルジュ) 作者: adachi
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第20話 翠緑と群青の追憶⑨

 『マザー』襲来の予兆は、日に日にその片鱗を現しつつあった。黒の世界において再びウロボロスが出現し、ドラゴンにゴブリンなど、黒の世界に生きるエクシードを持たぬ生物を突如として襲撃した。これに対し、二の轍を踏まぬよう待ち構えていた黒の世界のプログレスたちがソフィーナを中心として迎撃し、死者皆無という結果で勝利を収めた。
 しかし、結果の側面にはただならぬ不穏が残った。襲撃してきたウロボロスは過去に遥たちが相対し撃破した随伴機であったのだが、これと互角以上に戦うことができたのは、ソフィーナを含めた、黒の世界の第一線級の力をもつプログレスのみであった。前述した通り、プログレス全員が戦いに向いているわけではなく、変事の際に戦闘要員となれるのは、各世界においてそれほど多くは無いのであり、プログレス側は慢性的な人員不足が深刻な問題となりつつあった。
 戦いを拒否する者を無理矢理戦闘へ参加させることはできない。彼女らは意図してエクシードに目覚めたわけではなく、全くの無作為によって選出された運命のいたずらの被害者でもあるのだ。
 プログレスとして覚醒したことで世界を救う使命に燃える者もいるにはいるが、少数派であることは否めない。青蘭学園に来てエクシードを使いこなせる訓練を受けるのは、あくまで平々凡々な学生生活を送るためと、個人的な趣向に利用するためを目的とした者が数多い。
 そのような事情をウロボロスが知悉しているか否かは不明であるが、赤の世界と白の世界にも姿を現し、一通り暴れると嘘であったかのように姿を晦ました。
 随伴機たちが暴れていた時間、『マザー』が出現したのは最初と最後の5分にも満たぬわずかな時間のみであり、赤の世界では森の木々や泉の水を簒奪し、白の世界では起動前のアンドロイドや電子機器類を持ち去った。緑の世界が襲撃を免れたのは、持ち去るべき資源が存在しないからではないかと予測された。
 『マザー』の行動に疑問符を浮かべる青蘭島の智者たちであるが、『マザー』が何らかの意図をもって襲撃を敢行し、穏やかならぬ計画を進行させつつあるのは理性より本能めいた直感が確信させた。青の世界青蘭島での本土決戦が着実に近づきつつあることは疑い得ない。得ないが、各世界に散発的に出没し始めたウロボロスへの対処のため、プログレスたちは自身の世界を守るため青蘭島を離れざるをえなかった。戦力分散という戦略上の愚行を犯しているという自覚は胸中にあったものの、『マザー』襲来の時期が正確に予測できない以上、彼女らを何ら根拠なく青の世界に留めるわけにもいかず、具体的な対策案も練られないまま事態は推移しつつあった。

 遥たち風紀委員の気苦労は、そんな智者たちに比べれば矮小なものなのかもしれない。彼女たちは、特に遥は、思考の硬直とは何のことやらである。ウロボロスが攻めて来れば、全力を以てこれを撃破するだけと思い定めている。各世界で尋常ならざる異変が発生していることは何となく察してはいたが、敵の目途がこの青蘭島であるなら、ここで待ち構えておけばよい。他世界のことは気にかかるが、自分より別格の実力を保有するプログレスが複数いることを身をもって知っている遥は、彼女らに信を置くことができた。いや、遥が無根拠な全幅の信頼を据えているのは、もっと向こうの、広大とした茫洋な何かであるともいえた。
 そんな遥たちには、世界の情勢の変化よりも、身近に起こった人間関係の変化の方が大きな関心事であった。
「あ! セナー! こっちこっち!」
 遥が手を上げた方向には、セナとウルリカがいた。偶然通りかかったところを呼び止められた形である。先日の風紀委員室でのささやかなお茶会以来から、風紀委員の面々とセナとの親交は日に日に深まる一方であった。セナは未だに慣れぬ様子で、遥たちから声を掛けられるとどうしたらよいのか分からないといった風であるが、その度にウルリカが時に強引にセナを巻き込んで話を繋いでくれた。その甲斐あってか、大分最初期の頃より固さがほぐれてきたようである。
「こ、こんにちは! え、えっと、皆さん今日も特訓ですか?」
「そうだよー。あ、セナも一緒にどう? 青春の汗を流そうぜ!」
「わ、私も!? い、いえ! 遠慮しておきます」
「あら~、いいの? セナも少しは体力つけた方がいいんじゃない?」
「リカ! からかわないでよ!」
「そっかー。ゼンジ君も最近リンクの練習する時以外顔をみせないんだよねー。何やってるんだろ?」
 遥が呟くと、テオドーチェが閃いた表情をして、
「は! まさか1人でサボってるんじゃないのか」
「は! 確かにゼンジ君ならあり得るかも」
 これをゼンジが聞いたなら「サボタージュは労働者の権利だぜ。既得権益者に対する、民主主義の理念で保障された歴とした己の意志表現の1つさ」などと言ってのけたであろう。
(いや、ゼンジはそんなことをするような男ではない。最近の倦怠な様子からして、私たちとは別に何かしらの鍛錬を行なっているのではないだろうか?)
「わ、私もクラリスさんと同じ気持ちです。ゼンジさんは1人だけサボるような人じゃないと思います」
「え?」
「ん?」
 一瞬全員が目を合わせた。何か唐突に会話の流れに齟齬が生じたことを感じ取ったのであるが、それが何であるのか、数瞬暗闇を彷徨った。
「セナ? 私が何か言ったか?」
 クラリスが問いながらセナを見ると、その顔が蒼白に染まり、丸い瞳が怯えの色を濃厚に映しながら落ち着きなく左右へと揺れ、遥たちの顔の上を何度も往復させていた。遥たちの視線が自分に集中していることに気づくと、狼狽の度は加速し、口を手で覆いながら後退りをした。
「あ……あ……ご…ごめんなさい…私…また…」
「セナ! セナ! しっかり!」
 ウルリカの叫ぶ声が聞こえるが、何を言っているのか分からない。全ての声と音がくぐもって聞こえ、脳内で無限に反芻した。
 セナは遥たちに背を向けて走り出した。その後をウルリカが追っていった。
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