ありふれた始まりはいつだったか
アントーニョは、机の上に置かれた皿、そしてその上に鎮座している茶色い炭を前にして、大きなため息をついた。
「……これ、何なん」
「……ケーキだ」
炭を生み出した張本人、アーサーが黙ってこうべを垂れた。
今日は、アントーニョの誕生日である。
どうせ誰からも祝われないんだろ、どうせだから俺だけでも祝ってやる。別にお前のためじゃない、単に俺が暇だからだ!などと言ったアーサーの言葉にアントーニョが深いため息をついたのが、先日のこと。
自己弁護をするわけではないが、アントーニョには誕生日を祝ってくれる知り合いは山ほどいる。フランシス、ギルベルト、ルートヴィッヒ、フェリシアーノ、菊、ローデリヒ、ベル。彼らからは、朝一番に手紙とプレゼントが届いた。ロヴィーノも嫌そうにしながらも、なんだかんだで寒い財布から自腹を切って、プレゼントを贈ってくれた。
プレゼントはなくとも電話やメールをくれた者もいる。勿論今日という日を祝って、国民たちはお祭りのように浮かれており、アントーニョ街を歩けば彼を祖国と知る人間たちは誰もがアントーニョに祝いの言葉をかけた。
それくらい、アントーニョには友人が多い。今更アーサーなどを気にかける必要もないのだが、それでも、普段誰とも積極的に関わろうとしないアーサーからの声掛けは、ほんの少し気になった。
かつては幾度となく殴り合い、罵倒し合い、今でもそんなに仲良くはない間柄の自分に、まさかアーサーが声をかけてくるとは。
そんな誘いに乗った自分も自分だと、アントーニョは今日何度目かわからない溜息を吐き出した。やっぱな、ただの嫌がらせやん。こいつが殊勝にも俺にまじめにプレゼントなんて用意するわけあらへんやん。帰ろ。ふざけんなや、ばーかばーか。
……とは、口に出せるわけもないので、アントーニョは黙って席を立つ。
「な、なんで立つんだよ」
「消し炭を食う趣味はあらへん」
「チョコレートケーキだ!確かに焼きすぎたかもしれないが、茶色いのはチョコレートだからだ!お前、チョコレートが好きなんだろ!?」
「お前、味覚どころか鼻まで死んでんのかいな。臭いでわかるわ。炭や、これは。嫌がらせもええ加減にせえや」
こちらもいい加減、焦げの臭いで目が痛い。お前だって焦げが目に染みて痛いんだろうに。アーサーの緑色の目元がじわりと滲んでいた。
うそつきめ。イギリス人は菓子作りと口だけは上手いってことくらい知っとるんや。馬鹿にしよって。
実に無駄な時間であった。アントーニョは椅子にかけていたジャケットを取り、羽織る。来るんじゃなかった。むざむざ嫌がらせをされに来るなんて、自分も大概アホやんな。あー、あほらし。フランのとこでも行って飲み直そ。そう考えたアントーニョのジャケットの裾を、何かが引っ張った。
「……なんやねん」
「本当なんだ。嫌がらせじゃない」
「嫌がらせやなかったら何や。炭食って具合悪うした俺が寝てる間にまたなんか掠め取ってく気か」
「その話はするなよ……信じてくれ。本当に、お前の誕生日を祝いたかったんだ」
俯いたままのアーサーの表情は、アントーニョには見えない。口だけならなんとでも言えるだろう。殊勝な態度を取っておいて、見えないその顔はにやりと笑っているのだ。何回その手口に騙されたことか。今度こそ騙されない。
「離せ。高いジャケットなんや。皺つけんなや」
「……すまない。でも……嫌がらせじゃないってことだけは、わかってほしい」
二枚舌野郎はまだ諦めていないようだ。このまま、お高いジャケットを台無しにされても困る。アーサーの腕力は細くて小さい見た目に反してチンパンジー並みだ。決してチンパンジーを悪く言うわけではない。服を破くなりは簡単なことだ、ということであって。
アントーニョにもそれくらいの腕力はあるし、それ以上であると自負しているが、高級品のジャケットを人質に取られてしまえば諦めるしかない。ここで揉みあえば、アーサーに握り締められたジャケットは逝去してしまうことだろう。
「……わかった」
ジャケットの命と一瞬の我慢を天秤にかけて、アントーニョは今一度席に着くしかなかった。
ほとんど炭になったケーキは固く、フォークもろくに刺さらない。諦めて手掴みで口に運ぶ。……やはり、それは炭でしかなかった。
紅茶でなんとか一口分を胃の中に流し込むと、アーサーは信じられないとでも言いたげな目でこちらを見ていた。
「……なんや。食ったで」
「あ、ああ……食って、くれた」
「これで終いでええか?もう帰る」
今度こそ席を立つと、止める手はもうなかった。玄関まで早足で歩くと、数秒遅れてアーサーがついてきた。
「鍵はちゃんと閉めぇや」
「……ああ。それと、これ」
アーサーの腕の中には、麻袋が収まっている。炭の臭いで鼻はやられかけているが、これくらいの判別はつく。コーヒー豆だ。
「お前、紅茶派やろ」
「でもお前が喜ぶのはコーヒーだ」
「……わかっとるやん。これだけ貰ってくわ」
アーサーの手から袋を受け取ると、アントーニョは今度こそ、アーサーの家の庭園を抜ける。……これこそ、毒やないやろな。フランにでも毒味させるか。
薔薇が咲き誇る庭園に、アーサーは立っている。
コーヒー豆の袋をやり取りする瞬間、アントーニョの指がアーサーに触れた。彼に触れたのなんて、何百年振りだろう。前の時は、殺し合いをしていた時だったと思う。
アントーニョの嫌悪感丸出しの表情は面白かった。思わず笑い出してしまいそうなのをなんとかとどめたが、今なら大声で笑える。
お前の誕生日を祝いたかったのは本当だよ、クソ野郎。コーヒー豆にもケーキにも毒はない。ケーキは少し焼きすぎたけれど。
けれど、コーヒーは最高級のブツだ。万年貧乏のあいつには、手が届かないほどの。だから、俺がこれから毎年お前にそれをくれてやる。そうすればお前の貧乏舌は少しずつ肥えていくし、かと言って自分で買えないお前はこれから毎年俺からの誕生日プレゼントに期待するしかないんだよ。
時々、誕生日以外でも気紛れにくれてやる。そうして、俺からのプレゼントをいつも気にするお前になってしまえ。
お前が俺をいつも気にかけるようになるまで、俺はお前の前では殊勝な男になってやるよ。そして、お前が俺をいつも気にするようになって。その時は―――。
その時が、お前が俺のものになる日だよ、クソスパニッシュ。俺の神様。
「……これ、何なん」
「……ケーキだ」
炭を生み出した張本人、アーサーが黙ってこうべを垂れた。
今日は、アントーニョの誕生日である。
どうせ誰からも祝われないんだろ、どうせだから俺だけでも祝ってやる。別にお前のためじゃない、単に俺が暇だからだ!などと言ったアーサーの言葉にアントーニョが深いため息をついたのが、先日のこと。
自己弁護をするわけではないが、アントーニョには誕生日を祝ってくれる知り合いは山ほどいる。フランシス、ギルベルト、ルートヴィッヒ、フェリシアーノ、菊、ローデリヒ、ベル。彼らからは、朝一番に手紙とプレゼントが届いた。ロヴィーノも嫌そうにしながらも、なんだかんだで寒い財布から自腹を切って、プレゼントを贈ってくれた。
プレゼントはなくとも電話やメールをくれた者もいる。勿論今日という日を祝って、国民たちはお祭りのように浮かれており、アントーニョ街を歩けば彼を祖国と知る人間たちは誰もがアントーニョに祝いの言葉をかけた。
それくらい、アントーニョには友人が多い。今更アーサーなどを気にかける必要もないのだが、それでも、普段誰とも積極的に関わろうとしないアーサーからの声掛けは、ほんの少し気になった。
かつては幾度となく殴り合い、罵倒し合い、今でもそんなに仲良くはない間柄の自分に、まさかアーサーが声をかけてくるとは。
そんな誘いに乗った自分も自分だと、アントーニョは今日何度目かわからない溜息を吐き出した。やっぱな、ただの嫌がらせやん。こいつが殊勝にも俺にまじめにプレゼントなんて用意するわけあらへんやん。帰ろ。ふざけんなや、ばーかばーか。
……とは、口に出せるわけもないので、アントーニョは黙って席を立つ。
「な、なんで立つんだよ」
「消し炭を食う趣味はあらへん」
「チョコレートケーキだ!確かに焼きすぎたかもしれないが、茶色いのはチョコレートだからだ!お前、チョコレートが好きなんだろ!?」
「お前、味覚どころか鼻まで死んでんのかいな。臭いでわかるわ。炭や、これは。嫌がらせもええ加減にせえや」
こちらもいい加減、焦げの臭いで目が痛い。お前だって焦げが目に染みて痛いんだろうに。アーサーの緑色の目元がじわりと滲んでいた。
うそつきめ。イギリス人は菓子作りと口だけは上手いってことくらい知っとるんや。馬鹿にしよって。
実に無駄な時間であった。アントーニョは椅子にかけていたジャケットを取り、羽織る。来るんじゃなかった。むざむざ嫌がらせをされに来るなんて、自分も大概アホやんな。あー、あほらし。フランのとこでも行って飲み直そ。そう考えたアントーニョのジャケットの裾を、何かが引っ張った。
「……なんやねん」
「本当なんだ。嫌がらせじゃない」
「嫌がらせやなかったら何や。炭食って具合悪うした俺が寝てる間にまたなんか掠め取ってく気か」
「その話はするなよ……信じてくれ。本当に、お前の誕生日を祝いたかったんだ」
俯いたままのアーサーの表情は、アントーニョには見えない。口だけならなんとでも言えるだろう。殊勝な態度を取っておいて、見えないその顔はにやりと笑っているのだ。何回その手口に騙されたことか。今度こそ騙されない。
「離せ。高いジャケットなんや。皺つけんなや」
「……すまない。でも……嫌がらせじゃないってことだけは、わかってほしい」
二枚舌野郎はまだ諦めていないようだ。このまま、お高いジャケットを台無しにされても困る。アーサーの腕力は細くて小さい見た目に反してチンパンジー並みだ。決してチンパンジーを悪く言うわけではない。服を破くなりは簡単なことだ、ということであって。
アントーニョにもそれくらいの腕力はあるし、それ以上であると自負しているが、高級品のジャケットを人質に取られてしまえば諦めるしかない。ここで揉みあえば、アーサーに握り締められたジャケットは逝去してしまうことだろう。
「……わかった」
ジャケットの命と一瞬の我慢を天秤にかけて、アントーニョは今一度席に着くしかなかった。
ほとんど炭になったケーキは固く、フォークもろくに刺さらない。諦めて手掴みで口に運ぶ。……やはり、それは炭でしかなかった。
紅茶でなんとか一口分を胃の中に流し込むと、アーサーは信じられないとでも言いたげな目でこちらを見ていた。
「……なんや。食ったで」
「あ、ああ……食って、くれた」
「これで終いでええか?もう帰る」
今度こそ席を立つと、止める手はもうなかった。玄関まで早足で歩くと、数秒遅れてアーサーがついてきた。
「鍵はちゃんと閉めぇや」
「……ああ。それと、これ」
アーサーの腕の中には、麻袋が収まっている。炭の臭いで鼻はやられかけているが、これくらいの判別はつく。コーヒー豆だ。
「お前、紅茶派やろ」
「でもお前が喜ぶのはコーヒーだ」
「……わかっとるやん。これだけ貰ってくわ」
アーサーの手から袋を受け取ると、アントーニョは今度こそ、アーサーの家の庭園を抜ける。……これこそ、毒やないやろな。フランにでも毒味させるか。
薔薇が咲き誇る庭園に、アーサーは立っている。
コーヒー豆の袋をやり取りする瞬間、アントーニョの指がアーサーに触れた。彼に触れたのなんて、何百年振りだろう。前の時は、殺し合いをしていた時だったと思う。
アントーニョの嫌悪感丸出しの表情は面白かった。思わず笑い出してしまいそうなのをなんとかとどめたが、今なら大声で笑える。
お前の誕生日を祝いたかったのは本当だよ、クソ野郎。コーヒー豆にもケーキにも毒はない。ケーキは少し焼きすぎたけれど。
けれど、コーヒーは最高級のブツだ。万年貧乏のあいつには、手が届かないほどの。だから、俺がこれから毎年お前にそれをくれてやる。そうすればお前の貧乏舌は少しずつ肥えていくし、かと言って自分で買えないお前はこれから毎年俺からの誕生日プレゼントに期待するしかないんだよ。
時々、誕生日以外でも気紛れにくれてやる。そうして、俺からのプレゼントをいつも気にするお前になってしまえ。
お前が俺をいつも気にかけるようになるまで、俺はお前の前では殊勝な男になってやるよ。そして、お前が俺をいつも気にするようになって。その時は―――。
その時が、お前が俺のものになる日だよ、クソスパニッシュ。俺の神様。
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