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夢の中の女

ジャンル: その他 作者: 吾妻千聖
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夢の中の女

 じっとりと汗ばむ鬱陶しい夏を、叩き潰すような豪雨だった。天気予報が、今日は一日晴れると言っていたのに。予期しない雨だったため傘は持ってきていない。遅くまで残業をして、夜の雨の中をずぶ濡れになって帰ることを思うとぞっとした。どんどん勢いの増していく雨は、蓄積された疲労とストレスを洗い流してくれるなんてことはなく、水分がたっぷり靴に染み込んでいくように、不快さばかりが募っていく。こういうとき、自分も結婚していたならば、と思う。家に帰れば、きっと可愛い子供と優しい妻が出迎えてくれるのだ。「オカエリナサイ、パパ。」「オカエリナサイ、アナタ。」しかし、、想像上の妻と子のセリフは、なぜだかいつも片言だった。
交際経験すらない僕には、想像することも難しいような幸せということなんだろうか。それとも、こういうことを考えるときは、きまって疲れているときだからだろうか。なんだか眠たくなってきた。とにかくタクシーを呼んで、はやく帰ってしまおう。


 深夜の遅い時間にも関わらず、案外すんなりとタクシーを拾うことができた。
「お客さん、ドコまで。」
「××市の、●丁目の方にお願いします。あの、すみません。こんな水浸しで乗り込んでしまって。」
「アハハハ。イイんですよ。それにしても突然降ってきましたネ・・・、アタシもお陰でビッショリですよ・・・エエ・・・。。」
運転手は女だった。
「そんなに濡れることがあるんですか。休憩でコンビニに寄った時とかに、やられちゃいました?」
「アハアハ、、エエ。まァ。ソンナところです。」
実際女はひょっとすると俺よりも水浸しだった。
「・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
「・・・・・。」
長い沈黙が続いた。雨粒が激しく窓を叩いていた。
「お客サン・・・。チョット・・・。」
女が何か渡してきた。
「え・・・。何ですか、これ・・・。」
黒っぽく、パサパサに乾いた、気味の悪い芋虫のような・・・。
「坊やのへその緒です。」
「は・・・?」
「アナタの子の・・・。」
「意味が分かりません!気味が悪い・・・こんなもの返します!」
「アアッ。酷い。」
女が渡してきたものを助手席に放り投げ、急いで財布から5千円札を取り出して女に投げつけた。
「アナタは覚えていらっしゃらないの、ネ。アタシはアナタの前世の妻よ。子供ができて・・・でもアナタ、浮気して、アタシのこと、事故に見せかけて海に突き落としたのよ・・・ホラ、ここの皮膚を見てチョウダイ・・・こんなにふやけて・・・ネ・・・。ブヨブヨに・・・。」
徐に見せてきた女の腕は、脳ミソのように幾重にも幾重にも皺が刻まれ、あちこちが水風船のようにブヨブヨに膨れ上がっていた。水死体など俺は見たことも無いが、水の中で死を迎えた者の体はきっとこんな風に違いないと思った。
「デモネ・・・アタシ、ズット許さないノヨ・・・。死んでも、許していないノヨ・・・キット、またアナタの妻になるわ・・・キット・・・。」
そう言うと女は、血走った目でこちらを向いて、白い歯を見せニッと笑った。
「言ってる意味が、なにひとつ、なにも、わからない!いかれてるよ、あんた!気味が悪い!」
こんなキチガイには付き合っていられない。俺は急いでタクシーを降り、そこから無我夢中で走って家まで向かった。走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・意識が途絶えた。



 目を覚ますと、白い天井が目に入った。自室のベッドだった。酷い夢を見た。夢でよかった。こんな気味悪い夢、はやく忘れてしまおう。
「あなたー、朝ご飯よー。」
なにを変な夢を見ていたんだろう。夢の中の俺は独身だったが、そうだ、俺は結婚していて、可愛い息子がいるじゃないか。あの悪夢の主人公の男は、自分とは全く関係のない、まったく別の人間なのだ。
「ごめんごめん、今起きた。おはよう。」
妻が部屋に入ってきた。
「おはよう。アナタ・・・朝ご飯、食べるでしょう・・・ネ・・・。」
妻は、夢の中のタクシーの女の顔をしてニッと・・・笑った。
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