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柚木玲衣の非平凡な世界

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: Ponsukenohako
目次

3話 変な人




 トイレの中で、ぼんやりと昔のことを思い出す。


 同調圧力というものの存在を知ったのは、あたしがまだ五歳で、幼稚園児の時だった。

 自分が将来どんな大人になりたいか、画用紙に絵を描いてみましょうという先生の言葉を聞き、その時真っ先に思いついた自分の姿をクレヨンを握り締めながら一生懸命描いてみた。

 その出来上がった絵を見て、先生は可愛いね、と優しく微笑みながら褒めてくれた。

 けれどその一方で『この子、将来苦労しなきゃ良いけれど……』と、憐れむような心の声が聞こえてきて、その意味が分からずに困惑した。

 そして周りの子どもたちは『れいちゃんヘンなの』『むりだよ、そんなの』と、ストレートに否定的な言葉を投げかけてくる始末。

 一体何が変で、何が無理なのか。

 当時のあたしには未だ分からなかったけれど、きっとみんなが言うならこれはオカシイことなんだ……ということだけは幼いながらにも理解できた。

 同じ目的地を目指して空を飛ぶ渡り鳥の群の中から一羽だけ軌道を変え地上へ降り立ってきたとしたら、大半の人はあの鳥どうしたのかな? と不思議に思うだろう。

 本来ならこうあるべきだ、という集団の意思に対して抗おうとする個人の意思は、とても非力なのだ。

 結局、家に持ち帰ったその絵は家族の誰にも見せることなく、その日のうちにゴミ箱へ捨てた。

 これが正しい。そう思いながら。


※ ※ ※


 「あー、そろそろ教室戻るかな……」

 スマホで時刻を確認し、トイレの個室から出る。
あれだけうるさかった同級生たちのざわめき声も、授業開始時刻が間近に迫ってきたことで少しずつ小さくなっていった。

 頭の中をぐるぐる駆け回っていた心の声の数々、もとい雑音もこの程度になるとそこまで気にならない。

 トイレに来た時と比べ、だいぶ人が減り閑散とした廊下を歩き教室へ入る。

 ちらっとユキの居るほうを見ると、ちょうどあたしが戻ってきたことに気がついたようで目が合った。小さく手をひらひら振り「おかえりー」と言ってくれる。こちらも手を振り返し、応じる。 

 自分の席に着くと、その数秒後に教師がやってきた。

 「おはようございます。みなさん宿題はちゃんとやってきましたか?」

 教師のその言葉に「やべっ、忘れてたー」「先生ごめんなさい、忘れました」等、一部の生徒が謝罪を口にする。
その流れにユキも加わった。

 「せんせー、私も今日は忘れましたー」
 「一瀬さんの場合は”今日も”でしょう?」
 「はいー、今日もすみませんー」

 教師とユキのやりとりに、クスクスと笑い声があがる。

 「今回の宿題はそんなに時間がかかる量でもないから、忘れた人たちは今日の放課後までに私に提出してくれれば大目に見ましょう。ちゃんと持ってきた人たちは、授業の後で回収します。それでは教科書の◯◯ページを開いてください……」


 ※ ※ ※


 昼休み。あたしはお弁当を持って食堂へ向かう。ユキはいつも購買でパンを買ってから来るため、あたしが先に場所取りをしておくのが暗黙のルールになっていた。

 階段を降り、角を曲がろうと方向転換すると、タッタッと靴の鳴る音が間近に聞こえてきた。

 直後、ゴチンと音とともに身体に痛みと衝撃が走る。

 「痛っ……」

 気がついたらあたしは、尻もちを着いていた。

 「ごめんなさい! 大丈夫?」

 頭上より声が聞こえ、ゆっくりと顔を上げる。

 見ると、色白な肌で艷やかな黒髪が美しい女生徒が、申し訳なさそうな顔であたしの目の前に立っていた。

 胸元のリボンはあたしと同じ緑色。でもこの声に聞き覚えはないし、見覚えのない顔だった。

 「あ、大丈夫です! こっちこそ、ぶつかっちゃってごめんなさい」

 そう言いながら立ち上がり、パタパタとスカートについたホコリを払う。

 こんなところで走っていたこの人が全面的に悪いし、何一つあたしに非はなかったけれど、こんな些細なことで角が立つのも嫌だったので、一応謝っておく。
 
 「本当にごめんなさいね。 食堂に行こうとしたらお財布を教室に忘れちゃって、ご飯を食べる時間が減るのが嫌だから急いで取りに戻ろうとしてたのよ。やっぱり廊下は走っちゃ駄目ね……。あら? そのリボン、あなた私と同じ学年よね? 私、今日一年B 組に転校してきたの。一条ゆかりよ、よろしくね」


 ーーわぁ! うそ! えっ! えっ!? 何この子! きゃああああ! 転校は嫌だと母さんに散々文句を言ってしまったけれど、前言撤回。こんなに可愛い子と出会えるなんて、母さんに感謝ね! それにしても本当に可愛いわ……。大きすぎず、小さすぎずなくっきりとした目。ちょっと形が猫っぽいわね。鼻は小さくてスッキリとしているし、薄くて桜色の綺麗な唇……。あと髪の色! 少し薄い茶色だけど地毛なのかしら? 身長は158cmといったところかしら。私が162cmだから、抱きしめたらちょうどいい感じに私の腕の中におさまりそうね。あ、まずいわ。ニヤけちゃいそう。はぁぁ。なんとしてでもこの子とお近づきになりたいわ……!


 えっ……? 何だ今のは。

 膨大な心の声の情報量に、一瞬思考が停止する。その前に実際に聞こえてきた言葉がなんだったのか危うく忘れかけそうになってしまったけれど、かろうじて「転校」「一条ゆかり」というワードを思い出す。

 あー、そうだ。彼女が今日の朝噂になっていた転校生とやらだ。

 この人、今あたしに対してなんかすごい色々と容姿を褒めるようなことを心の中で言っていたけれど、表情はニコッと優しく微笑んでいるだけ。おしとやかな良いところのお嬢さんって感じ。

 噂通りの美人なだけに、その心の声とのギャップに驚きを隠せなかった。

 自然な笑顔で応じたかったけれど、どう頑張っても表情筋が引きつってしまうのを感じる。
 
 一条ゆかりに対してのあたしの第一印象は「変な人」だった。
 
  
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