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ハーミッシュ物語~ある架空世界の小史より~

ジャンル: ロー・ファンタジー 作者: バーグマン1981
目次

森の朝稽古

「・・・ふう、ふう・・・、ふうぅ・・・」
額から噴き出す汗を、少年はシャツの裾で乱暴に拭った。
止め処なく伝い落ちる汗を鬱陶しく思いながらしかし、右腕で構えた木剣の切っ先を外さないよう、注意を払う。
森のひんやりと澄み切った空気に抗い、少年の全身は熱を帯びていた。
森に入る時羽織っていた外套は、とうに脱ぎ去って近くの枝に掛けてある。
手にした木剣の柄を、ぎっ、と握り締める。
柄に巻かれた革は、手に掻いた汗でぐっしょりと湿っていた。
たかが木剣とはいえ、丈夫な樫の枝から削り出されたそれは、ずっしりと手に重い。
確(しか)と手に力を込めなくては、切っ先がブレてしまいそうになる。
踏みしめた足元で、枯れた木の枝が、ぱきり、と音を立てて折れた。
「たあぁっ・・・!!」
それが合図であったかのように、少年は、目の前の楡(にれ)の大木に向かって歩を踏みこんだ。
身を屈めて、一気に間合いを詰める。
もう一腕分で身体がぶつかりそうな距離で、彼は手にした木剣を振り上げた。
―一閃、がきっ、という音とともに、大木の腹に打撃が打ち込まれる。
振り向きざまに、大きく振り被ってもう一撃。
ひときわ強い打ち込みを楡の巨体に見舞うと、木の皮が剝がれ、一筋の条痕が刻まれていた。
間を許さず、少年は一歩、後ろへ飛びすさる。
さきほど強い打ち込みを加えた衝撃の反動で、掌がじんじんと痺れる。
伝わってくる緩慢な痛みを消し去らんかとするように、今一度、柄を強く握った。
さてもう一番、とばかりに、今度は背後にあった木の幹を蹴り上げ、反動で跳躍する。
空中で中段に剣を構え、体ごと大木の懐に飛び込む。
刹那、力を込めて、剣を構えた両腕を前に突き出した。
    バキィッ!!
なにかの折れるような、いっそう派手な衝突音が響いた。
勢い余って、肩から木にぶつかる。
弾かれて体勢を崩し、大きく尻餅を衝いた。
身を翻して構えを立て直そうとした、剣を握るその手には、明らかな違和感があった。

・・・・・・いやに軽い。
「・・・あれ?」
改めて手にした得物を見ると、刀身の先端から半分が物の見事に無くなっている。
どうやら最後の一撃が原因のようだ。
見れば、刀身の片割れは、あわれ楡の巨人に弾き返されて大木の根元に落ちていた。
「・・・まずいなぁ・・・」
頭をふとよぎった不安から逃避するように、意味もなく、すっかりと軽くなった木剣を振ってみる。
その不安とは…。

「おはようございます。ミルズ様」
突然の背後からの呼び掛けに、名剣の残骸を握ったミルズ・ハーミッシュは肩を縮めた。
気取られずに自分の背後へ回るとは、相手はかなりの手練だ、などという下らない冗談を考えてみる。
実際には自分が呆けていただけなのだが、人間は焦っている時にはロクなことを思い付かない。
しかし、ミルズは心中を相手には悟られないよう、さも落ち着きはらって振り返った。
「おはようございます、エンヴェリー先生。
バナパルも、おはよう」
ミルズの振り返った先には、騎乗の青年医師が、こちらに微笑みを向けていた。
黒い長髪を後ろで結わえた髪形は、いつも変わらない。
リディス・エンヴェリーは父ベルスの主治医であり、月に少なくとも一回はハーミッシュ邸に健診に訪れるため、ミルズとはすっかり顔馴染みだった。
通常であれば、名家の御曹司相手に馬上から呼び掛けるのは礼を失する行為ではあったが、それが許されるのもこの二人の間柄を示していた。
とまれ、このままでは気が咎めるので、リディスは今更ながら下馬した。
「こんな朝早くから剣の稽古とは、熱心ですな。感心致しました」
「いえ、朝の早駆けと剣の練習は欠かさぬようにと、父上から言い付けを」
実際にはそれほど強く強要された覚えはないが、ミルズは少し謙遜気味に答えた。
「ただのお言い付けでそこまで真剣に取り組まれていらっしゃるなら尚のこと。
早朝の陽も昇りかけの、このような森の中で」
「最初は単に素振りをしていたのですが、体が温まるとなんだか熱中してしまって」
「熱中…、ですか」
リディスの目が、自分の握っている木剣に注がれているのに気づいて、ミルズは慌てて背中に隠した。
「いや、あの、これは・・・」
「何を隠される必要があるのです?
剣がもたぬほどの稽古をされておられたのは、むしろ頼もしい限りでしょうに」
「いや、これは・・・。
実は、父上が大事にしている剣なのです。
家で昔から稽古用に使っているもので、今日は特別に借りて来たのです。
でも、駄目にしちゃって・・・。
あの、途中で落とした事にしようかとか、いろいろ考えたんですけど、それはそれで怒られそうだし…」
そう言って、ミルズは一旦隠した剣を差し出す。
観察するに、武具にはあまり詳しくないリディスでも、鍔(つば)の意匠などから、それなりに作りの良い物であろうことは分かった。
「なるほど、それで先ほどから私が何度呼び掛けてもお気づきにならなかったわけですね」
「はい・・・、え?何度も?」
呼ばれた記憶は一回きりだったが、どうやら、こいつの処分をどうしようかと考えあぐねているうち、周りの音が耳に入らなくなっていたらしい。
こんな隙を作ってしまっては、何のための稽古であったのか、と自分を恥じるミルズであった。
「そのような顔をされなくとも。
私はちょうどこれから、お屋敷にお邪魔するところです。
ミルズ様が剣のことを御心配されているのなら、私からお父上にご説明しましょう」
「先生・・・」
リディスの提案に、ミルズは少し顔色を取り戻した。
「さ、参りましょう。
バナパルも、久々にミルズ様を背に乗せて差し上げたいと張り切っていますぞ」
「本当ですか?
わあ、よろしく、バナパル」
先ほどの不安はどこへやら、すっかり顔を輝かせたミルズは、バナパルの首筋を愛おしそうに撫でたのだった。
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