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ハーミッシュ物語~ある架空世界の小史より~

ジャンル: ロー・ファンタジー 作者: バーグマン1981
目次

序章

「被告人は起立しなさい」
判事の轟くような低い声が、広い法廷内に行き渡った。
少年は、上から糸で吊られた操り人形のように、虚ろに立ち上がった。
満員の傍聴客が、十七歳の少年の一挙一動に細かな注目を注いでいた。

被告席、検察人席、判事席が前方に設けられ、すり鉢状の段を形成した傍聴席が、馬の蹄鉄のような配置をなして下方の三席を見下ろしていた。
この、三百を超える傍聴席を有する高等法院では、ことに重度の犯罪で容疑者となった者が裁かれることが大抵であった。
戦犯や反乱組織の幹部、公職を利用して国に損害を及ぼした者など、それ相当の罪を犯した者でなければ、この法院の被告席があてがわれる事はなかった。

少し前の自分は、こんな所とは縁がなかったはずだ。こんなところに立たされるような、重罪なんて自分には関係無かったはずだ。そうだ、誰だって僕を見てそんな疑いは抱かない。なぜ僕はこんなところにいるんだ? 

判事の目が、こちらを向いている。
そうだ、バルケルという老人だ。父の古い友人で、昔何度か家へ来たことがあるではないか。
その時はたしか、手土産に干し葡萄の入った菓子を貰ったのだった。
しかし、今や少年を見つめるその目は、何らかの感情も映し出してはいなかった。
品物を値踏みするような、深い闇をたたえた眼差しが、こちらを射ていた。

「被告人ミリュゼティ・ハーミッシュ。
汝は以下に述べる罪状において嫌疑を申し立てられている。
本年 獅子王の月十三日、汝は軍事作戦中、友軍兵士三名を殺害した。
同年同月十四日、汝は軍事作戦中、正当な理由なく所属部隊より離脱し、軍規法が定める法規に違反した。
くわえて汝は、いたずらに人心を扇動し、国家の転覆を目的とした行動を企てた。
以上の嫌疑が本法廷に提出されている。
被告に申し開きのかどがあるか」

バルケル判事の、鉱脈に響く採掘音のような、冷たく硬質な声が、法廷中に響き渡った。
被告と呼ばれた少年は、からからに渇いた喉から、何とか声を絞り出そうとした。
「・・・・・・否認いたします」
自分の声が、どこか別の場所から聞こえる・・・、そんな錯覚を覚えた。
「すべての嫌疑についてか」
「・・・すべてにおいて否認いたします」
「よろしい。
被告人はすべての嫌疑を否認した。
よって本法廷はこれより、提出された嫌疑について審議を行うものとする・・・・・・」
おかしい。
いま、裁きを受けているのは自分のはずなのに、直面しているすべてが、霧のむこうに浮かんだ景色のように現実感がなかった。
裁判は、父に連れられて何回か傍聴したことがある。
あの時、傍聴席から眺めた被告席に、いま、自分が立っている。
そのはずだが、少年の意識は、自分のうしろ姿を傍聴席から眺めているかのように、虚ろで、薄弱だった。
「・・・・・・審議は明日(みょうにち)より行われる。原告、被告は陳述の用意を。
本日はこれにて閉廷。本法廷に、神のご加護があらんことを」
判事が宣誓し、一同は起立した。
全員が法廷の入り口に向き直り、その梁の上部に奉られた、正義と法の守護神、イズマクの像に拝礼した。
法の番神はこの少年にいかなる裁きを下されるのか・・・・・。
傍聴客はめいめいの思いを胸に、退出していった。

廷吏の兵士が、無言で少年の前に立った。
また、あの薄暗い、いやな臭いのする拘留房へ連れて行かれるのだ。
だが、あそこなら独りになれる。
今は疲れている。独りになりたい・・・。
少年もまた、無言で入り口に向かって歩き出した。
入り口をくぐる時、彼は心の中で祈り、唱えた。
「正義と秩序を司る神よ、無実の血を屠(ほふ)るなかれ」と。
しかし、偶像はただ、罪に問われた少年を、石で出来た冷ややかな眼(まなこ)で見下ろすのみであった・・・。

ねずみの死骸の臭い。囚人たちの糞尿の臭い。冷たい石の床。シラミのわいた毛布。時おり木霊(こだま)する、つながれた者たちの苦悶の呻き・・・。
獄(ひとや)は、人間の活力、生命力を奪い去る魔力を持っている。
このような所で、死ぬまで時間を費やさなくてはならないとしたら、人間の正気とは、一体どこまでもつのだろうか。
季節は春とはいえ、夜になると、石床は思いのほか冷え、寒さを凌ぐためには、不潔極まりない毛布に体を包(くるま)なくてはならなかった。
少年は、独房に一脚だけ設えられた長椅子に寝転がりながら、どうしてこのような事になってしまったのかと、思いに耽っていた。

自宅のことを思い出していた。
町の高台に位置する、眺めの良い屋敷。
家は立派な構えであったし、城下町とは一線を画す区域、生まれの卑しいものはいくら金を積んでも得られない土地にあった。
家中には大勢の下男や女たちを抱え、常に不自由ない暮らしであった。
代々武門の棟梁であり、父祖の代から軍の要職をあずかる家柄だった。
宮廷内においても、わが父は周りの尊敬を集めていた。
わが家柄には、汚点や曇りなどは、一切無いはずだった。
それがなぜ・・・。
少年は、雨露の滴る天井を見つめながら呟いた。
「どうして・・・」
呟きは獄の隅の闇に吸い込まれ、・・・そして消えた。


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