ネット喫茶.com

オリジナル小説や二次創作、エッセイ等、自由に投稿できるサイトです。

メニュー

てのひら怪談

ジャンル: ホラー 作者: 木葉
目次

プロローグ

佐藤巽はこれといって、目立つところの無い凡庸な男だった。
寡黙で多くを語らず、少し長めの前髪から覗く瞳は大抵人ではなく、その日の仕事に向けられていた。
日々の楽しみも自宅での晩酌位のもので、昼間は町工場で働き汗を流し、決められた時間に退勤し自宅に戻る。そして決して豪華でない夕食を摂り、適当に風呂で身体を洗い明日に備えて床に就く。たまの休みは趣味の釣りや、読書に費やした。
そんな普遍的な毎日を繰り返している彼だったが、たった一つだけ他人と違うと言える変わった性質を持っていた。

彼の周りには何故か、怪談話が集まるのだ。

彼は特に、自分から求めてそれを収集している訳では無かった。にも関わらず、それは自分から此方に這い寄ってくるかの様に、いつの間にか彼の周りを集う。
例えばかつて学生の時分働いていた、アルバイト先でだとか。
例えばたまに開かれる、職場の飲み会だとか。
例えば同僚に誘われて出掛けた、恰好の釣りスポットである堤防だとか……
そういった所で彼は、必ずそれらに出くわした。
彼と肩を並べて談笑している人間は、先程までそれと何も関係が無い、最近の流行りのスポーツの話題だとか、昨今の不景気な世の中の話だとか、身内の何気無い体験談や自慢話だとか……そういったものを話していたのにいつの間にか声を落とし、実はね、信じられないかもしれないけれど……と彼の耳にギリギリ届く音でそれを囁き、語り始める。
そんな彼はまるでイソップ童話に出て来る、ロバの耳を持った王の秘密を理容師から聞かされる葦の様であった。その静かな為人が、出会った人々に抱え切れない不可思議な出来事を語らせるのかもしれない。

この人ならば、突拍子の無い【その体験】を話しても、決して笑い飛ばしたりしないだろうと……

そんなこんなで彼は、望んだ訳では無いが沢山の不思議な物語を記憶の中に抱え込む人生を歩んで来た。
そしてその性質は、今まで特にこれといって役に立った事は無かった。怪談の噺家ならば自身にそんな稀有な性質が有れば、両手を上げて喜んだだろうが、元々聞くのは容易いが、人に語る事が苦手でそれらを悉く避けて通って来た身。得た話を活かすことも無く、ただ身の内にだけそれらをしまい込んできた。
そんな状況に急な変化が訪れたのは、彼の甥が珍しく、彼の暮らすアパートを訪ねてきた時であった。
甥は巽とは大分年が離れていて、今年で小学五年生になる。今まで特別な接点も無く、交流したといったら親戚の集まりや法事でまだ幼かった甥の世話を見た時や、世の学校が夏季休暇となる時期に都合が悪く、子どもの面倒を見る事が出来なくなってしまう程仕事を抱え込んでしまった、姉の手助けをした時位のものだ。
そんな甥が一人きりで部屋を訪ねてきた時、もしや要件は姉に相談出来ないような事柄が飛び出して来るかもしれない……と身構えたが、蓋を開けてみれば他愛の無い事だった。
「叔父さんって確か、怖い話いっぱい知ってるんだよね……?」
甥は少し肩をびくつかせながら、ただでさえ小柄な身体を何時もより小さく縮こませつつもそう切り出した。詳しく話を聞いてみると、彼は近いうちに怪談話が幾つか必要になるとの事だった。
甥が所属している地域の子ども会で、夏の催し物として百物語を行うらしい。百物語といっても実際に百も話を集める訳ではなく、所謂真似事らしいのだが、参加する子どもはもれなく怖い話を持ち寄り、当日電子ロウソクを片手に他の子どもと幾人かの保護者の前で披露しなくてはいけないというのだ。
正直言うと、巽はなんとまあ面倒な企画を立てたものだと思った。そして、幼いうちから人前で発表する事に慣らしておきたいという大人の僅かな目論見が感じられなくもない。参加自体は強制でないというが、小さな団地内では法事等重要な用事も無いのに不参加というのは、後々悪目立ちするだろう。
そんな暗黙の事情を幼いながらに感じた甥は、こうして叔父に助けを求めに来たというのが顛末であった。
しかしながら、どうしたものかと巽は悩んだ。今までの人生で全く役に立たなかった性質を、甥のために活かすことが出来るチャンスであったが、元来語る事が苦手な男である。そもそも甥も怖い話はあまり得意でないのか、自分から求めてやって来たのに、いざ話すとなるとびくびくと怯える始末だった。
そこで二人で話し合い悩んだ末に、巽が知る噂話を口伝では無く文字として起こし、甥に渡すことになった。これならば一度聞いただけの話を発表するよりも正確に内容が他人へ伝わるだろうし、本番前に何度も文字を見て、自分が話しやすくアレンジしたり、練習出来るというメリットがある。怖い話である事には変わらないが、甥も幾らか心情的に受け入れ易い様であった。
そういう訳で巽は今夜も、普段は持っているだけであまり活用しなかったノートパソコンと向き合って、何も打ち込んでいないワープロソフトの真っ白な画面を見詰めていた。
文書きの真似事など生まれて初めてする事だが、感じる僅かな高揚感に、自身はこういった作業が好きなのだと初めて知る事が出来た。ここから幾つかに分けて、身体の中に染み付いた物語を記していくのだ。

「さて……今日は何を書こうかな?」
目次

※会員登録するとコメントが書き込める様になります。