ネット喫茶.com

オリジナル小説や二次創作、エッセイ等、自由に投稿できるサイトです。

メニュー

復讐の王女の伝説

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: そばかす
目次

第18話

「場合によっては……。けど、いまのところは地味に動いた方がよいでしょうね」
 ただ、とカヤは思った。アンネローゼとヒルデの顔、王女の顔を実際に見たことのない人物は大勢いるだろうが、二人の姉の美貌が人目を引くだろう。
「いいんじゃない?」
 いきなり声をかけられ、踊り子の衣装や他の衣装をあれこれ見ていたカヤとヒルデは驚いた。二人とも相当疲れていたのだろう。背後に立つ気配にも気づけなかった。声をかけてきたのは、アンネローゼだった。
「踊り子の格好をして、鼻の下を伸ばしている所をグサリ!」
 アンネローゼが冗談めかして言う。
「お姉様! もう大丈夫なのですか?」
 ヒルデが叫んだ。
 それには答えず、アンネローゼはカヤを見た。
「悪かったわね」
「いえ」
「ぶつ?」
「え?」
「ぶってもいいわよ。私、本気の本気で、あなたを殺そうとしたし。本当ならもっと他の何かを要求されても仕方ないのだろうけど、まだ私にはやることがたくさんあるしね。殺されるのだけはごめんだわ」
「そんなつもりはまったくありません」
「知ってる。途中で、気づいた。あ、これ、なんかヘンだな? って。剣を交えているのに、殺気なんてなかった」
「私もお姉様が最後の方では正常に戻られたのを知って……」
 カヤの言葉を遮るように、アンネローゼは首を横に振った。強く激しく。
「違う。私はもっと前に気づいていた。二度目に起き上がったときくらいには気づいていた。あなたの意図も、狙いも」
 カヤは黙り込んだ。
「それがわかっていて、私はあなたに剣を向けた――――本気で、殺すつもりで向けた! 何度も何度も、何度もよ!」
 アンネローゼは、気遣うように置かれたヒルデの手を無造作に振り払った。カヤを見つめている。睨んでいるような目だ。
「どうして! どうして! どうして!」
 アンネローゼは叫んだ。その声は嗚咽に変わったが、その問いが消えることはない。嗚咽を漏らしながらも叫ぶ。
「どうして! どうして! どうして! どうして!」
 アンネローゼはしゃがみ込んだ。
 それはどうして、カヤがあんなことをしたのかという問いでもあったろう。
 同時に、自分がどうしてあんな理性も何もかもをかなぐり捨てた野獣のようになってしまったのだろうという、自分に向けた問いでもあったのだろう。
 それとも、この夜に起きたすべての出来事に対する問いであったのかもしれない――。
 アンネローゼはただ何度もどうしてと繰り返し、誰かの回答を求めていた。このとき、もしエセ宗教家や詐欺師が口当たりのよい甘い言葉をかけたなら、手もなくアンネローゼは騙されただろう。才色兼備で、海千山千の人間を相手にしてきたアンネローゼといえど。
 カヤはアンネローゼの肩に手を置いた。
 錯乱の発作を起こすようになったアンネローゼを見つめるヒルデ。ヒルデはアンネローゼとカヤから離れて、ふいに気になったらしく後ろを振り向いた。シャルロットは目を覚ましていた。じっと、声も出さずに、三人の姉たちの様子を見つめていた。ヒルデはシャルロットに眠るように言って、子守歌を歌い出した。
 カヤはアンネローゼの震える肩とつぶやきがじょじょに治まってくるのを感じた。ヒルデの子守歌はシャルロットに対する以上にアンネローゼに効果を上げたらしい。
「アンネローゼお姉様。私の母ならきっと『風に聞け』と言ったと思います。風の歌に耳を澄まし、大気の震えをとらえなさいと」
「どういう意味?」
 アンネローゼはやっと顔を上げた。涙でぐしょぐしょだ。
「沿岸を中心に旅する民の一族は、同じように『海に聞け』という言葉を伝えるための伝承があるそうです。寄せる波と引く波がすべてを教えてくれる、と。あなたの人生における大切なことはすべて……」
「風や波が教えてくれるもんですか!」
 アンネローゼがまた癇癪を起こした。
「いいこと! 風だの、波だの、そんなもの!」
「そうです」カヤがうなずくのを見て、アンネローゼは茫然とした。
「不可思議な力を使う私だってそう思います。風や波に意思や、まして心があるなどとは思いません。それに本当にこうしろああしろと指示を出してくれるとも思いません。正しい人の在り方を知っているとも思っていません」
「……じゃあ、だったら……」
「風の音が聞こえない――それは錯乱を意味します。もしくは何かの事柄、誰かの言葉、そういったものに自分の心が囚われていることを示しています。だから、意識して風の声を聴くんです」
 私たちは、とカヤは呟いた。
「すべての問いに対する、もっとも効果的な解答は、自分しか知りません。憎しみの理由も憎しみがどこに向かうのかも、自分しか知りません。そしてその強く激しくいくらでも湧き出る憎しみを消すことができるのも、自分しかいません。――お姉様。お姉様は、いま、風の声が聞こえますか?」
 アンネローゼはしばらく黙っていた。ヒルデの歌声もいつしかやみ、辺りは静けさに満ちていた。
目次

※会員登録するとコメントが書き込める様になります。