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泡沫

原作: その他 (原作:刀剣乱舞) 作者: うさみ
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#夕暮れ

#夕暮れ

 主と俺は並んで歩くが、その間は人間一人分くらいあいていた。とても、彼女の顔が見られない。彼女も同じであるようで、忙しなく手で髪を撫で付けている。
「ある」
「長谷部く」
「あ、どうぞ」
「いえいえ、どうぞ」
「どうぞ、主」
「あ、うん。その……」主は、えいやっと小さく気合を入れて、俺の腕に引っ付いた。その細い指を俺の二の腕あたりに絡める。「照れたって、仕方ないよね! 今更だよね! だって私、日頃から長谷部くん大好きなの、隠せてなかったっぽいし!」
「隠しているおつもりで?」
「バレてたか」
「ええ、俺は隠れたものを圧し切ることが得意ですからね」
 顔を見合わせて、くすぐったくて、一緒に笑う。
 主と刀として、もしかしたら、恋人同士として、も加わるのか、兎も角ずっとおそばにありたいと、心から願う。
 飢えているようなのだ。喉が乾いている。主に触れれば潤う気がする。彼女を欲して、欲しくてほしくてたまらない。
 などと、ガツガツした思考が知られたら、機嫌を損ねられてしまうかもしれない。俺はいつも通りを装って笑む。
 主はどう思っているのだろう。共感覚が働かない。主にキスされた瞬間からだったろうか、彼女のわたあめが消えてしまった。彼女に対するなんらかの特殊な力を失ったのだ、と少し落胆する。
 だが、それでいいじゃないか。俺と主は両想いなのだから。通じ合った男女なのだから。心がつながっている。直接伝え合えばいい。惜しいことなど何もない。
「こんなに幸せで、いいんですかね」
「いいんだよ。いい、長谷部くん……」主は俯いた。「ずっと一緒にいたいな」
「俺もです」少し照れ臭いが、伝えなければ。「俺だって、あなたを愛しているんですから」
 また、沈黙が落ちる。券を購入して、二人でエノシマの頂上部へ入っていく。整えられた庭に、大行列のパンケーキ屋。(主の昼食を思い出し、食べたいですか? と訊いたら、あの行列に並ぶ時間がもったいない、と彼女はなぜだか拗ねてしまった)野外ステージが備え付けられている。その影に、俺たちは隠れた。もう一度、キスを交わした。主の手が、俺の髪を、首筋を、腰回りを撫でて、欲情する。いやだめだ、こんな野外で、と思わず彼女から身を離す。「ごめん」主が呟く。「いえ、その、俺の方こそ」胸が痛くて堪らなかった。
 本丸に帰ったら、彼女に触れよう。俺から、触れるのだ。その髪を、頬を、首筋を、鎖骨を、全部、俺のものにしたい。できたらいいのに。いや、できるはずだ。刀と人であれ、俺たちは愛し合っているのだから。
 くらくらしてきた。途中で買ったペットボトルの水を飲み、気を落ち着かせる。主は背中を撫でてくれた。ドギマギするような、癒されるような、不思議な感覚がした。確かなのは、彼女が愛しいということだけ。
 こっそりと、ステージ裏から出た。周りも逢引の男女だらけで、俺たちのことを見ている人間は皆無だった。皆、己の恋人に夢中なのだ。俺は、主に夢中だ。
 なんとかというカタカナの塔に、二人で登る。展望フロアは全面ガラス張りで、こういうところに無縁な俺には、非常に物珍しい景色だった。思わず景色、おもに眼下の海に見惚れていると、主はどこかに行ってしまった。「10分待って」帰ってきた彼女は、勿体ぶって笑う。
 10分後、彼女は小さなテーブルの前に掛けている男に、金を払って何かを買った。すぐさま、俺に見せてくれた。
 いつもありがとう 長谷部くん 主より
 紐の通った小指ほどの大きさの板に、そんなことが書かれていた。「メッセージプレートだよ。身につけてね」主が頬を染めて言う。「なくさないでね」
 胸がいっぱいになった。メッセージプレートを握り締めた。「俺も」思わず、頬が上気した。「俺も、主につくります」
「いらないよ」静かな、拒否が返ってきた。思ってもいないことだった。「だって、私の世界はもう終わるんだから」
「主……?」
「夕暮れまで、そばにいて、長谷部くん」
「なにを仰います。ずっとおそばにおりますよ」
「ねえ、長谷部くん。帰っても、びっくりしないでね。長谷部くんは、私の真珠を持ってるから。だから、もう片方のある海と繋がるから。大丈夫だから。だから、私の部屋の本を読んで。絵本が一冊。下らないと思ったとしても、最後まで読み通して欲しいの」
 何も言い返せなかった。言われている意味が、全くわからない。彼女と、強く繋がったと思ったのに。勘違いだったというのか。結局は共感覚がないと、俺は彼女の心の声が聞けないのか。
「主……あなたが何かを隠しているなら、知りたい。主のすべてを知りたいのです」
「うん!」いつもどおり、無邪気に彼女は笑った。「私も、長谷部くんに全部知って欲しい。だから、ねえ、そろそろ帰ろっか」
 上りはエスカレーターだったが、下りは階段で降りることにした。螺旋状の階段を、間違いのないよう一歩一歩降りていく。風がバサバサと全身を煽る。景色は、真っ赤だ。夕暮れだ。逢魔時だ。
「さよなら、長谷部くん」
 囁きだった。だが、はっきりと聞こえた。背後の彼女を振り返る。風が強く吹いた。思わず腕で顔を覆った。
「ばいばい」
 主を風から守ろうと思った。だが、そこには誰もいなかった。
「あ、主……?」階段から落ちた⁉︎ 慌てて階下を見たって、誰もいない。
「主……主!」
 夢中で探した、ことだけを覚えている。あの時の俺は狂乱の最中だった。
 当然だろう。愛する女性が、消えたのだ。
 綺麗さっぱり、消えてしまったのだ。
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