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泡沫

原作: その他 (原作:刀剣乱舞) 作者: うさみ
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#正午

#正午

 向こうに見えるエノシマは、人でごった返していた。主は、エノシマと陸(というと大袈裟だが)を繋ぐ橋の上で、渚を見下ろしていた。ずっと、そうしていた。俺たちの横を、何人もの人間が通りすぎていく。主は目を瞑って、エノシマのほうに危なげなく歩く。下の海が深くなってきたであろうところで、立ち止まり、不意にもう片方の耳飾りを外した。
「これは、真珠って言うんだよ。私のお姉様の手作りなんだよ」
 珍しく、たっぷり沈黙して、主はささやくように言った。
「海から、生まれたんだよ。返してあげないとね」
 ゆっくり、手のひらを解いて、橋の下に真珠の耳飾りを落とした。俺は、あ、と思わず声に出してしまった。せっかく、主と揃いのモノを持てたのに、などと言う、刀らしくない女々しい思考をしてしまう。真珠の耳飾りは、音もなく小さな波紋を作り、それもすぐに波にかき消され、海の中へと消えていった。
「行こっか、長谷部くん。随分長いことぼんやりしてたら、もうお昼だよ」
「はい、主のご随意にどうぞ」
 俺たちは、エノシマに上陸して、人波を縫うように歩く。俺にとっては、こんなにも多くの人間とすれ違う機会もそうないので、辺りを見渡したい衝動を堪えた。
「主、昼食はどうしましょうか? あちらこちらに、生しらす丼とやらの店がありますよ。大行列ですが」
「あー、ごめん、私魚介類無理なんだ。食べられないの」主にも、食べられないものがあるなんて。「こら、露骨にびっくりした顔すんな」
「ふふ、すみません」
「とはいえ、江ノ島って魚介類ばっかだからさ。長谷部くん、食べたかったら食べてきていいよ。私お弁当持ってきたから」
 もちろん、そういうわけにもいかないので、カロリーメイトと書かれた箱を取り出す主を黙って見つめる。これが弁当? 事情を知っていたなら、俺がきちんとした昼食を用意できたのに。無性に悔しくて歯噛みする。
 粗末な食事を終えると、主は歩き出した。しばらく進み、エスカー乗り場というところで、首を傾げてしきりに悩んでいた。これに乗れば、楽にエノシマの上の方に行けるようだ。主は健脚だが、あの昼食を見てしまった以上、体力を消耗させるようなことは避けたい。俺は二人分の券を買った。買い物、という刀らしからぬ行為に慣れた自分に、少し驚く。主と、毎日のように万屋に行っているおかげだろう。毎日のように、そう思考して、今朝の主の発言がふっと頭をよぎった。
 世界が終わるみたい。
 毎日のように。そんな営みも、世界が終われば終わるのだ。いかに主の考えといえど、そんなわけがない、と思う。周りの人間たちだって、一人も悲壮感に打ちひしがれている者はない。明日も、世界は続くのだ。俺はずっと主のお側に在るのだ。
 キリシタンに持たれていた身としては、神社に行くことには抵抗がある。それを察してくれた主は、途中の神社には一ヶ所も寄らず、エノシマの頂上を目指す。
「はーせべくんっ」
 しばらく行くと、人が全くいない、路地裏にいた。主にここに誘導された。なにを考えていらっしゃるのかわからず、俺の名を呼ぶ主を振り返る。
 俺は、信じられないものを見た。
 主が、ナイフを持っていた。それを、震える手で、俺に向けた。
「主?」
 混乱して、眉を顰める。彼女からは、殺気というものが全く感じられない。第一、俺の主が俺にそんなものを向けるはずがない。つまり、なにがしたいのかわからない。
「……。ドッキリだよ、ドッキリ! びっくりした?」
「え、はい、まあ」
「私が、長谷部くんを刺したりするわけないじゃん」主は、ナイフを放り捨てた。いつもの邪気のない笑みを浮かべている。
「全く、困った方ですね。手を怪我したらどうするおつもりだったのです」
「ええ、ここで私の心配する? 普通。本当に、長谷部くんは優しいなあ」
 お姉様の気持ち、わかるよ。こんなの、できるわけないじゃん。
「え……?」
「ん? どうかした? 時間差でびっくりした?」
「ええ、まあ」主の心の声の意味が、まるでわからない。主は、俺をじっと見た。どこか哀れむような、不思議な表情をしていた。
 愛してるよ、長谷部くん。
「……っ」耳が熱くなった。多分、真っ赤だ。知っている。彼女はレンアイカンジョウで俺が好きで、俺は刀としてーー刀として?
 わからない。彼女の太腿を見られたくないだとか。他の男の肩がぶつかるだけで、ひどく苛つく気持ちだとか。彼女の手を握りたいだとか。永劫そばにいたいだとか。
 それは、刀として?
 目を逸らせなかった。主は俺の肩を両手で掴む。背伸びをする。俺は無意識のうちに、首を垂れて彼女と目線を合わせようとしている。
 唇が、唇に触れた。
 思わず、ん、と鼻にかかった声が漏れたのが、ひどく恥ずかしい。でも、その瞬間、まるで身体全体が雷に打たれたようだった。心がひりひり痛い。苦しい、切ない、なのに嬉しい。
 主の手が伸びてきた。頬を挟まれて、それが首筋へと降りていく。ゾクゾク、する。ぽーっとしている間に、いつのまにか主は俺から離れていた。小走りで路地裏を出るその背中に、思わず俺も愛していますと叫びたくなる。
 ようは、それが答えなのだ。
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