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泡沫

原作: その他 (原作:刀剣乱舞) 作者: うさみ
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#午前10時

#午前10時

 結局、主のどらてくとやらは披露されることなく、小さな電車で、俺たちは海に向かうことにした。本丸の外に出て主の時空に行くたびに、彼女の服装にもやもやするのだ。ワンピース、と言っていたが、その裾があまりに短すぎると思う。白い太腿がちらちら見えるたびに、俺の心はざわめくのだ。俺のような刀でさえ気になるのだから、人間の男の目にはたいそう毒ではなかろうか。なぜだろう、他の男が彼女の脚を見ることが、なかなかどうして癪である。
「わあ、長谷部くんかっこいい」
「毎度褒めていただきありがとうございます」
「うんうん、このジャケットに細身のパンツ。私の目に狂いはない!」
「主の選ぶものなら、なんでも着て差し上げますよ」
 他愛無い会話をしながら、本丸を出発し、俺たちは現世、主の故郷に降り立った。電車に乗り込む。主の故郷、といっても、彼女は過去のことを何も語ってくれないのだ。同じ服装をした複数の女子たち(制服、というのだそうだ)が乗り込んでくると、彼女は微妙に眉を潜める。同じ型の鞄を背負った(ランドセル、というらしい)幼な子らを見ても、彼女は落ち着かなさそうに目を逸らす。
 いいなあ。
 微かに、彼女が例の共感覚で呟いた。紫の薄い雲が、彼女の頭に纏わりついている。
「ねえ長谷部くん、私が、小さい頃一言も話さない子供だったって知ったら、びっくりする?」
「主が……ですか?」驚いて、言葉を重ねる。「主が……?」
「なんっか失礼だなあ」主は苦笑する。「うん。私ねえ、小学校も中学校も、高校も行っていないの」
「それは、誰もが皆行く場所なのですか?」
「うん。でも、私の故郷は、ずっとずっと学校から遠かったから。それに、私は一言も、口がきけなかったから」
「ここが」少し混乱して尋ねる。「主の故郷なのではないのですか?」
「故郷だよ。ただね、うちが、ちょっと、ちょっとね、学校からアクセス悪かったってだけ」
「森の奥に住まわれていた……とか」
「おお、長谷部くんは鋭いねえ」主は、いつも通りころころと笑った。「でも違うんだな」
 普通、逆なんだよね、あの童話は。
 彼女の心の声の意味が、全くわからず首をひねる。
「海だ!」車窓にパッと水色が広がった。小さな島が見える。主がよく語って聞かせてくれた、ショウナンの海。「今日はいい天気でよかったねえ」
「主は、晴れ女ですからね」
「うん! 荒れた海は好きじゃないもの」
 下車し、改札を出る。主は唐突に、ご自分の右耳に手を伸ばした。そして、耳たぶからぶら下がる白い球の装飾物を外し、不意に俺に投げた。
「おっ……と」
「長谷部くんナイスキャッチ! それ、あげるね」
「主?」
「何も言わずに、もらってほしいんだ」
 主は、そう言って振り返ると、さっさと歩き出してしまった。エノシマへの道を、途中の店に目をひかれつつも真っ直ぐ歩く。少し後ろを歩く俺は、混雑していない甘味処を狙い、素早く買い物を済ませる。主に追いついてそれを手渡した。痩せろと言った舌の根も乾かぬうちに、こんなことをしてしまう自分に苦笑する。
「わ! ソフトクリーム! 美味しそう! ありがとう長谷部くん!」
「お安い御用です」
「自分の分は買わなかったんだ? 半分こする?」
「えっ」思わず、耳がカッと熱くなった。主の舌が這ったものを口にする、だなんて。「あ、主、それって……」
「照れない照れない。冗談だよ。ま、拒否られるよりは、主の精神衛生上いいです」あっという間に、彼女はそれを平らげてしまった。「ごちそうさまでした」
 主は、再び歩きだす。俺は、今度はその隣を歩く。主は、俺のことをなんだと思っているのだろう、と思う。好かれていることは確かなのだ。主と刀剣なのだから。この長谷部は、誰よりもよく働く、主の自慢の近侍なのだから。しかし、刀としては、人間の求めがよくわからない時がある。レンアイ、そんな感情を抱くには、俺は血を浴びすぎている。もちろん、それが彼女のためなのだから、迷いや葛藤は一切ない。主にあだなす、目障りなものはただ切って殺すだけだ。彼女も、それだけを求めるのが道理だろうに、彼女は俺をレンアイタイショウとして、好きなのだ。自惚れではない筈だ。俺が俺を「お好きでしょう?」と問うたび、返ってくる彼女のいじらしいリアクション。
 そのたび、俺の胸に湧き上がってくる、なにか。
 俺も、主が大好きだ。その一番でありたいと願い、誰よりも多くの主命を拝命したいと思っている。特別と言われて、どんなに嬉しかったか。どうして、この主から離れられようか。近くに寄りたい。俺は主の掌をそっとにぎる。出来る限り、優しく。
「長谷部くん」
 主は、目を丸くしてこちらを見た。頬が微かに赤い。
「俺は、主がお話しできるようになり、本当によかったと思いました。主と意思の疎通ができる。これほど嬉しいことはない」
「長谷部くん……」共感覚のことは、彼女は知らないはずだ。一度俯き、ギュッと目を瞑ったあと、主はパッと俺を振り仰いだ。
「うん! 私も、故郷から出てきてよかったなって思ったよ。だって長谷部くんが……長谷部くん……」
 主は、この場に適切な言葉を探している。ずっと、隣で探し続けてほしい、などと思う。ずっと、永劫。
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