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泡沫

原作: その他 (原作:刀剣乱舞) 作者: うさみ
目次

#朝

 消えてしまった人を、探している。
 落としてしまったモノを、探している。
 それが、あなただったなら。

「はーせべくんっ」
 あの時、俺が知っていたなら。
 あなたの、笑顔以外の表情を、もっと真剣に見つめられていたなら。
 塞がれた唇と、伸びてきた手を、もっともっと俺のそばに引き寄せられたなら。
 俺よりも、刀の俺以上に、なにもかもより、あなたが人間だったなら。
 あなたが人間だったなら。

『泡沫』

#朝

 主が、世界が終わるみたい、と、なんのことなしに呟いた。彼女の膝の上にいたこんのすけには、その呟きは届かなかったようだ。俺だけが聴ける言葉が、主にはある。俺と主の間にだけ通う言葉が存在していて、それをおもに、彼女の心の声という形で、俺は視る。主の言葉はわたあめのようで、青かったり、桃色だったりする。なにもかも淡い。俺が彼女にだけ、感じることのできる共感覚だ。
「ねえ、長谷部くん。長谷部くんは、世界最後の日になにがしたい? 長谷部くんだったら、どこに行きたい? 長政さまに逢いたい?」
「よしてくださいよ」俺は苦笑する。「俺の主は、あなたです」
「ごめんごめん。長谷部くんって、なんかちょっといじりたくなるんだよね」
「主」わざとらしく、眉を吊り上げる。口元が緩んでいる自覚がある。「そういう意地の悪いことを仰ると、今日の甘味を食べてしまいますよ?」
「あ、だめ、だめー」主は腰を浮かせ、ちゃぶ台の上の菓子を死守した。こんのすけは、いつのまにか退出したらしい。「そういうこと言うと、まんばちゃん呼んでおはぎの宴の刑だよ」
「ほかの本丸の話は知りませんよ」俺はついと横を向く。「主、最近少し、ふっくらされました。少しお痩せになったほうがよろしいかと」
「ちょ、長谷部くんにはデリカシーってもんがないわけ⁉︎」
「人間の感覚は、推して知るしかありません」
「そんな生意気な口をきく刀はこうだ〜!」
 主の両手が俺の耳の脇に伸びる。その小さな小指が耳たぶをかすめて、俺の肩は小さくはねる。主は拳を作り、俺のこめかみをグリグリとやってくる。まったく。
 その両手首を、まとめて右手で掴んでみる。主はその真っ黒な瞳をぱっちりと開いた。左手で、彼女の頭頂部の結い紐をそっと撫でてみる。にわかに、その頬が真っ赤に染まった。
「そんな生意気な刀のことが好きな、あなたはこうです」
「おのれ、へし〜!」
「暴れないでください?」主の膝が鳩尾に入りそうになったので、その身を解放して立ち上がる。「こんな俺も、お好きでしょう?」
「もう、この刀はほんとーに」
 主は、呟きながら縁側へ移動した。俺はその背中に、先ほど途切れた話題を投げかけ、蒸し返してみることにする。
「主は、世界最後の日には、なにがしたいですか?」
「私か。うーん、長谷部くんと二人で遊びたい」
「逢引ですか」
「うん、そうそう。もういいよそういうことで」なぜ、彼女が微かに不機嫌になったのかが、わからない。「海でも見に行かない?」
「海……ですか」
「いやならいいけど。錆びちゃうかな?」
「そんなにヤワじゃありませんよ」俺は、彼女の背後に近寄る。「海に行って、どうします?」
「そのままーーたい」
「え?」
「ううん、なんでもない」振り返った彼女は、満面の笑みを浮かべている。彼女が刀剣男士だったら桜が舞いそうだ、などと、ありえない仮定に苦笑が漏れる。
「なに、その顔」
「いいえ、主はいつも主だ、などと思いまして」
「なんとなく、馬鹿にされてる気がするんだけど」
「まさか。そんなわけがありません」
「まあ、いいけどね」彼女の赤い袴に桜がついた。なるほど、撒き散らしているのはどうやら俺の方らしい。「長谷部くんには見せてあげようじゃないか。私の見事なドラテクをね」
「どらてく?」
「華麗な運転技術、かな?」
「え、主、運転というと、車ですか?」
「うん!」
「運転、なさるのですね……なんだか全く想像がつきません」
「どういうことよー。免許合宿で一人期限内に終わらず居残りになった、この私の腕前を……」
「あ、主、仰る意味がちょっと……?」
「ふふ」彼女はころころと笑う。「ごめんね、長谷部くん。本当に、からかいたくなるんだ、長谷部くんは。長谷部くんだけは」
 彼女が目を伏せる。睫毛が、頬にギザギザの影として落ちる。
「長谷部くんは、私の特別だよ」
「え」
「本当に、ずっと、ずーっと、長谷部くんだけは私の特別だよ」
この時、俺は気のせいと思うべきではなかったのだ。彼女の目尻から、すっと、微かな滴が溢れて床に落ちたのを。
「主」
俺はただ、彼女を愛しく思う衝動に突き動かされたのだ。それで胸がいっぱいになって、ほかにどうとも考えることができなくなった。なんて、単純な刀。ただ、彼女のそばにいたい、それだけで苦しいほどに。
「あっ」
その身がぱっと翻り、俺は呆然とした。主が大きく向こうに手を振っている。ちょっと出かけてくるねー、と叫んでいる。初期刀の加州が、ひらひらと手を振って応えていた。
「長谷部くん」
「はい」
「ちょっとえっちなこと考えてたでしょ?」
「は、……え?」
「お預け! さ、出かけましょ〜」
「あ、主ぃ!」
誤解です、とその背中に語りかけても、主はふんふんと鼻歌を歌い、俺にとりあってはくれなかった。
 この時。
 彼女は確かに、二本の足で立っていた。
 俺の共感覚は、青空よりも淡い青を、彼女の両脚に纏わせていたのだ。
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