第陸話
息を荒げながら歩みを進めるヒルダは力強く口元を引き結んでいた。辺りには大きな木々が所狭しとばかりにズラリと立ち並び、閉塞感が否めない。さらに無数の葉が日の光を遮っているためどんよりと暗く、鬱々とした気分を誘っていた。
あの後ジークフリードの家から引き返し、近くに位置している自宅の横を抜けて、今ヒルダは森の深部にいる。町の裏に位置するこの巨大な森は凶暴な魔物や精霊が生息していることで有名な危険地帯であった。
昔、町を襲いに来た魔物は大抵がこの森からやって来たものだったなとヒルダは呑気に懐かしむ。そもそも自分とジークフリードが近衛を目指し始めたのも、森と町の中継点として魔物の被害に遭いがちだったヒルダの家を守るため強くなりたいと言い出したのがきっかけだった。
魔物が沈静化した今は警備や見回りが主な仕事で、実戦は久々だった。腕が鈍っていないかと不安もあったが、長年培った勘はそう簡単に衰えるものでもないらしい。
魔物は沈静化しているとはいえ、自分達のテリトリーに入ってくる人間には容赦なく牙を剥く。故に、ヒルダの攻撃の手が休まることはない。呼吸が乱れすぎないよう意識しながら、軽やかな足取りでしかし踏み込みは重く、一撃一撃を的確に敵を貫いていく。
そうしてヒルダは愛槍を手にひたすら森を突き進んだ。意志の強い面構えに反して、この進撃に明確な目的はない。ただ、襲い掛かってくる魔物を片っ端から肉片にして回っていた。
この戯れのような行為に何の意味があるのか。そもそも意味などないと、心臓とともに脈動する全身の筋肉が語っている。
ただ、じっとしていられなかった。どうしてもジークフリードに近づきたくて、だけど何をしたらいいのかもわからない。自棄になるな、と心のどこかで冷静な自分が警鐘を鳴らす。うるさいと叫ぶ代わりに穂先が唸って魔物の血肉を散らした。
あのドラゴンを倒すほどの彼に近づくためには、もっと強くならねばならないと。今の彼と並ぶほど強くなれば、彼を少しでも理解し得るかもしれない。それしかない。それしか思いつかないのだ。
共に町を守っていた頃は、単純な戦闘力は五分か、もしくはジークフリードのほうが少し腕が立つ程度だった。ドラゴンを倒すほどの実力が昔の彼にあったとは思えない。旅路の途中で鍛え上げ、最終的に彼は見違えるほど強くなったに違いないのだ。
ならば自分もそれに追いついてみせると、ひたすらヒルダは槍を振るった。
「この辺りの魔物は大体片付けたかな」
ヒュッと音を立てて槍を空振れば、穂先の軌道上に血が飛び散り直線を描いた。
随分と多くの魔物を倒したが、まだ足りない。全然足りない。
ゆらりと森の奥へと目を向ける。闇が広がるその空間を見つめながらヒルダはいつか町の人間が言っていた言葉を思い出した。
『あの森の奥には絶対に行くなよ。あそこはピクシーの巣窟だ』
ピクシーは野生の魔物には珍しく、高い知能を持ち幻術を操る種族だ。自分達のテリトリーに入ってきた人間に幻影を見せて惑わし、最後には幻影にはまった人間を食らう食人鬼の一種でもある。
ピクシーの魔力は人間のそれを遥かに凌ぎ、一度ピクシーの幻影にはまれば自力での脱出は困難。運良く幻影をかわして戦いに持ち込めたとしても、戦闘力の高いピクシーを相手に立ち回ることは難しいと言われていた。
ヒルダ自身、生まれてから一度もピクシーの巣窟へ足を踏み入れたことはなく、それどころかピクシーを相手取った経験もない。ドラゴンが倒される前、ピクシーが町を襲いにやってきた時には、まだ経験の浅かったジークフリードやヒルダは町民の避難誘導に回され、実際の撃退作戦には歴戦の近衛兵や魔術師が数十人がかりで対応したほどだ。
ドラゴンと比べればさすがに劣るが、普通の人間一人では対応しきれない危険な存在としてピクシーは人々の畏怖の対象となっている。
単純に強いだけじゃなく幻術も使う分、ある意味ドラゴンよりも厄介な存在かもな、とその男は冗談めかして笑っていた。
そんな魔物が、この森の奥に。
「……上等じゃない」
ヒルダは槍を一回横に薙ぎ、気合を入れなおすと、迷うことなく森の奥へと進んでいく。ピクシーくらい一人で何とかできるようにならないと、きっとジークフリードに近づくことなど不可能だとヒルダは唇を噛み締めた。
ザクザクと枯葉を踏みしめながら歩くこと数分。
無心に歩いていると考えたくもないことを考えてしまうのがヒルダの悪い癖だった。返り血で体臭が紛れているのか、先ほどよりも魔物の出現率が低い。それを良いことに、神経を研ぎ澄ませながらもヒルダは脳裏にジークフリードとの思い出を描き始めていた。
あの後ジークフリードの家から引き返し、近くに位置している自宅の横を抜けて、今ヒルダは森の深部にいる。町の裏に位置するこの巨大な森は凶暴な魔物や精霊が生息していることで有名な危険地帯であった。
昔、町を襲いに来た魔物は大抵がこの森からやって来たものだったなとヒルダは呑気に懐かしむ。そもそも自分とジークフリードが近衛を目指し始めたのも、森と町の中継点として魔物の被害に遭いがちだったヒルダの家を守るため強くなりたいと言い出したのがきっかけだった。
魔物が沈静化した今は警備や見回りが主な仕事で、実戦は久々だった。腕が鈍っていないかと不安もあったが、長年培った勘はそう簡単に衰えるものでもないらしい。
魔物は沈静化しているとはいえ、自分達のテリトリーに入ってくる人間には容赦なく牙を剥く。故に、ヒルダの攻撃の手が休まることはない。呼吸が乱れすぎないよう意識しながら、軽やかな足取りでしかし踏み込みは重く、一撃一撃を的確に敵を貫いていく。
そうしてヒルダは愛槍を手にひたすら森を突き進んだ。意志の強い面構えに反して、この進撃に明確な目的はない。ただ、襲い掛かってくる魔物を片っ端から肉片にして回っていた。
この戯れのような行為に何の意味があるのか。そもそも意味などないと、心臓とともに脈動する全身の筋肉が語っている。
ただ、じっとしていられなかった。どうしてもジークフリードに近づきたくて、だけど何をしたらいいのかもわからない。自棄になるな、と心のどこかで冷静な自分が警鐘を鳴らす。うるさいと叫ぶ代わりに穂先が唸って魔物の血肉を散らした。
あのドラゴンを倒すほどの彼に近づくためには、もっと強くならねばならないと。今の彼と並ぶほど強くなれば、彼を少しでも理解し得るかもしれない。それしかない。それしか思いつかないのだ。
共に町を守っていた頃は、単純な戦闘力は五分か、もしくはジークフリードのほうが少し腕が立つ程度だった。ドラゴンを倒すほどの実力が昔の彼にあったとは思えない。旅路の途中で鍛え上げ、最終的に彼は見違えるほど強くなったに違いないのだ。
ならば自分もそれに追いついてみせると、ひたすらヒルダは槍を振るった。
「この辺りの魔物は大体片付けたかな」
ヒュッと音を立てて槍を空振れば、穂先の軌道上に血が飛び散り直線を描いた。
随分と多くの魔物を倒したが、まだ足りない。全然足りない。
ゆらりと森の奥へと目を向ける。闇が広がるその空間を見つめながらヒルダはいつか町の人間が言っていた言葉を思い出した。
『あの森の奥には絶対に行くなよ。あそこはピクシーの巣窟だ』
ピクシーは野生の魔物には珍しく、高い知能を持ち幻術を操る種族だ。自分達のテリトリーに入ってきた人間に幻影を見せて惑わし、最後には幻影にはまった人間を食らう食人鬼の一種でもある。
ピクシーの魔力は人間のそれを遥かに凌ぎ、一度ピクシーの幻影にはまれば自力での脱出は困難。運良く幻影をかわして戦いに持ち込めたとしても、戦闘力の高いピクシーを相手に立ち回ることは難しいと言われていた。
ヒルダ自身、生まれてから一度もピクシーの巣窟へ足を踏み入れたことはなく、それどころかピクシーを相手取った経験もない。ドラゴンが倒される前、ピクシーが町を襲いにやってきた時には、まだ経験の浅かったジークフリードやヒルダは町民の避難誘導に回され、実際の撃退作戦には歴戦の近衛兵や魔術師が数十人がかりで対応したほどだ。
ドラゴンと比べればさすがに劣るが、普通の人間一人では対応しきれない危険な存在としてピクシーは人々の畏怖の対象となっている。
単純に強いだけじゃなく幻術も使う分、ある意味ドラゴンよりも厄介な存在かもな、とその男は冗談めかして笑っていた。
そんな魔物が、この森の奥に。
「……上等じゃない」
ヒルダは槍を一回横に薙ぎ、気合を入れなおすと、迷うことなく森の奥へと進んでいく。ピクシーくらい一人で何とかできるようにならないと、きっとジークフリードに近づくことなど不可能だとヒルダは唇を噛み締めた。
ザクザクと枯葉を踏みしめながら歩くこと数分。
無心に歩いていると考えたくもないことを考えてしまうのがヒルダの悪い癖だった。返り血で体臭が紛れているのか、先ほどよりも魔物の出現率が低い。それを良いことに、神経を研ぎ澄ませながらもヒルダは脳裏にジークフリードとの思い出を描き始めていた。
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