一番人気のナポリタン
翌日から僕は、喫茶ポアロについての調査を始めた。毛利小五郎に近づくために、まずは周りから固める必要がある。そう、これは組織からの任務を遂行するためなのだ。本当のことなのに何故か後ろめたくて自分に言い訳をしていた。
調査の過程で、どうやらポアロは小さいながらそこそこ人気がある店だと判明した。確かに、外から見る限りでもランチタイムは連日多くの客で賑わっているようだった。
そういえば、向かいのコンビニから取ってきたフリーペーパーにも【米花町の隠れた名店】と掲載されていた。ナポリタンが絶品らしい。【この店のお得意様の大尉くんと美人店員の梓さん】という見出しで、あの日と同じ三毛猫を抱いた彼女が笑っていた。
へぇ、『梓』て字を書くのか…じゃなくて、アルバイトとして雇われなければならない。毛利小五郎を探るのがメインなのだから、急に休むことも少なくないだろう。そんな悪条件を飲ませるにはどうすれば良いだろうか。
少し迷ったが、僕は客として一度ポアロへ行ってみることにした。やはり店外から得られる情報は少ないのだ。
2日後の水曜日、よく晴れた午後。僕は変装をほどこし、客としてポアロのランチに訪れた。黒髪に黒のカラーコンタクト、グレーのスーツにメガネという地味なサラリーマン風の出で立ちだ。忙しいこの時間なら、地味な一見客が特別印象に残ることもないだろう。
ドアノブに手をかけ、軽く深呼吸して扉を開く。ドアベルの音が鳴り、梓さんが振り返った。
「いらっしゃいませ!1名様ですか?」
あの日と同じ笑顔だ。僕は黙ってうなずく。
「すみません、カウンターでもよろしいですか?」
少し申し訳なさそうな表情に、また心が緩み始める。悟られないよう足早にカウンター席へ座り、メニューを開いた。
「失礼します、お冷どうぞ」
「ランチセットのナポリタン。ドリンクはブレンドコーヒーで」
メニューを見たまま顔を上げず、自分に出せる限りのしゃがれ声で梓さんに注文した。事前調査していたことを潜入後に気づかれたら後々面倒なので、声色を変えたかったのだ。しかし生憎、僕はベルモットのような声帯模写の特技は持ち合わせていない。声を枯らすといった方法しか思いつかなかったのだ。
しかし我ながら良い具合に声が掠れたと思う。昨晩久々に一人でウイスキーをあおった甲斐もあり、今日初めて発声することもあり、まったくといって良いほど喉が開いてない。よし完璧だ、と思うが梓さんの反応がない。
不思議に思い見上げると、眉毛を下げた梓さんがきょとんとして僕を見ていた。…しまった。声を変えることばかり考えていたけれど、逆にこんな声では思いっきり印象に残ってしまうではないか。しかし、何故梓さんは固まっているのだろうか。僕のことを不審がっているのか?
えーっと…、ただの酒ヤケですよー、僕は怪しい者じゃないですよー、どこにでもいるサラリーマンですよー、と念を送りながら咳払いをすると、梓さんがハッと我に返った。
「あ、ナポリタンのランチセットでブレンドコーヒーですね。かしこまりました」
梓さんは何事もなかったかのようにニコッとして注文を書き留め、キッチンへオーダーを通しに行った。一瞬焦ったが、まぁ問題はない。仮に印象に残ったとしても不審がられたとしても、その姿と僕が結びつくことはないだろう。きっと梓さんは、間が独特な子なのだ。
食事が来るまでの間、店内を見渡して様子を伺ってみることにした。近所のOLやサラリーマンで席はほぼ埋まっている。テーブル席は満席だ。事前の調査どおり、店は繁盛している様子だった。
ふと自分が座ったテーブルを見ると、今はあまり見かけなくなった球状の星座占い器が現役で置いてあった。昔ながらの純喫茶といった店内だが、年季の入った建物の割には清潔だ。この場所が愛されていること、丁寧に手入れされていることが手に取るように分かる。
サイフォンで淹れる本格的なコーヒーの香りが、人々の心を緩め束の間の休息へ誘ってくれる。空気は淀みがまるでなく、清々しいながらも温かさがある。賑わってはいるが落ち着いた雰囲気で、居心地の良い店だ。
角にある小さな本棚には推理小説が多く並んでいる。雲形のPOPには【喫茶ポアロ店名の由来☆マスターおすすめポアロシリーズ】という女性が書いたらしき文字と、なんだか気の抜けた三毛猫の絵。あの猫は、雑誌に載っていた『お得意様の大尉君』だろうか。ふにゃふにゃの大尉につられて肩の力が抜けてしまう。
本棚の脇には、こちらも手書きの【アルバイト募集】のポスターがあった。
【助けてください!おかげさまで猫の手も借りたいほどの忙しさです… ランチ勤務できる方急募 シフト・給与応相談】の文字に、困り顔のマスター・梓さん・大尉のイラスト。
驚くことに、この店はマスターと梓さんの2人で切り盛りしているらしい。
梓さんはホール業務全般を流れるようにこなし、奥のキッチンではマスターが懸命にパスタやサンドイッチを作っていた。
調査の過程で、どうやらポアロは小さいながらそこそこ人気がある店だと判明した。確かに、外から見る限りでもランチタイムは連日多くの客で賑わっているようだった。
そういえば、向かいのコンビニから取ってきたフリーペーパーにも【米花町の隠れた名店】と掲載されていた。ナポリタンが絶品らしい。【この店のお得意様の大尉くんと美人店員の梓さん】という見出しで、あの日と同じ三毛猫を抱いた彼女が笑っていた。
へぇ、『梓』て字を書くのか…じゃなくて、アルバイトとして雇われなければならない。毛利小五郎を探るのがメインなのだから、急に休むことも少なくないだろう。そんな悪条件を飲ませるにはどうすれば良いだろうか。
少し迷ったが、僕は客として一度ポアロへ行ってみることにした。やはり店外から得られる情報は少ないのだ。
2日後の水曜日、よく晴れた午後。僕は変装をほどこし、客としてポアロのランチに訪れた。黒髪に黒のカラーコンタクト、グレーのスーツにメガネという地味なサラリーマン風の出で立ちだ。忙しいこの時間なら、地味な一見客が特別印象に残ることもないだろう。
ドアノブに手をかけ、軽く深呼吸して扉を開く。ドアベルの音が鳴り、梓さんが振り返った。
「いらっしゃいませ!1名様ですか?」
あの日と同じ笑顔だ。僕は黙ってうなずく。
「すみません、カウンターでもよろしいですか?」
少し申し訳なさそうな表情に、また心が緩み始める。悟られないよう足早にカウンター席へ座り、メニューを開いた。
「失礼します、お冷どうぞ」
「ランチセットのナポリタン。ドリンクはブレンドコーヒーで」
メニューを見たまま顔を上げず、自分に出せる限りのしゃがれ声で梓さんに注文した。事前調査していたことを潜入後に気づかれたら後々面倒なので、声色を変えたかったのだ。しかし生憎、僕はベルモットのような声帯模写の特技は持ち合わせていない。声を枯らすといった方法しか思いつかなかったのだ。
しかし我ながら良い具合に声が掠れたと思う。昨晩久々に一人でウイスキーをあおった甲斐もあり、今日初めて発声することもあり、まったくといって良いほど喉が開いてない。よし完璧だ、と思うが梓さんの反応がない。
不思議に思い見上げると、眉毛を下げた梓さんがきょとんとして僕を見ていた。…しまった。声を変えることばかり考えていたけれど、逆にこんな声では思いっきり印象に残ってしまうではないか。しかし、何故梓さんは固まっているのだろうか。僕のことを不審がっているのか?
えーっと…、ただの酒ヤケですよー、僕は怪しい者じゃないですよー、どこにでもいるサラリーマンですよー、と念を送りながら咳払いをすると、梓さんがハッと我に返った。
「あ、ナポリタンのランチセットでブレンドコーヒーですね。かしこまりました」
梓さんは何事もなかったかのようにニコッとして注文を書き留め、キッチンへオーダーを通しに行った。一瞬焦ったが、まぁ問題はない。仮に印象に残ったとしても不審がられたとしても、その姿と僕が結びつくことはないだろう。きっと梓さんは、間が独特な子なのだ。
食事が来るまでの間、店内を見渡して様子を伺ってみることにした。近所のOLやサラリーマンで席はほぼ埋まっている。テーブル席は満席だ。事前の調査どおり、店は繁盛している様子だった。
ふと自分が座ったテーブルを見ると、今はあまり見かけなくなった球状の星座占い器が現役で置いてあった。昔ながらの純喫茶といった店内だが、年季の入った建物の割には清潔だ。この場所が愛されていること、丁寧に手入れされていることが手に取るように分かる。
サイフォンで淹れる本格的なコーヒーの香りが、人々の心を緩め束の間の休息へ誘ってくれる。空気は淀みがまるでなく、清々しいながらも温かさがある。賑わってはいるが落ち着いた雰囲気で、居心地の良い店だ。
角にある小さな本棚には推理小説が多く並んでいる。雲形のPOPには【喫茶ポアロ店名の由来☆マスターおすすめポアロシリーズ】という女性が書いたらしき文字と、なんだか気の抜けた三毛猫の絵。あの猫は、雑誌に載っていた『お得意様の大尉君』だろうか。ふにゃふにゃの大尉につられて肩の力が抜けてしまう。
本棚の脇には、こちらも手書きの【アルバイト募集】のポスターがあった。
【助けてください!おかげさまで猫の手も借りたいほどの忙しさです… ランチ勤務できる方急募 シフト・給与応相談】の文字に、困り顔のマスター・梓さん・大尉のイラスト。
驚くことに、この店はマスターと梓さんの2人で切り盛りしているらしい。
梓さんはホール業務全般を流れるようにこなし、奥のキッチンではマスターが懸命にパスタやサンドイッチを作っていた。
※会員登録するとコメントが書き込める様になります。