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彼女と僕

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: saki
目次

彼女と僕

彼女は、確かに明るい女性だ。

ただ、無性に一人になりたい時があるらしく、帰宅するなり、お気に入りの赤いファブリックソファーに身をうずめて、夕飯も口にせず、その夜を過ごすことがたまにある。


感情豊かな女性である分、良い事があった時や、悲しい事があった時の彼女はとてもわかりやすい。

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去年の秋。

彼女と僕は知り合った。

知人に連れられて参加した飲み会で、男女分け隔てなく喋りかける彼女が印象的だった。

とても活動的で、週に一回は仕事終わりにバスケットボール社会人サークルに参加しているし、飲み会自体も好きらしく、週末は様々な方面からお声がかかっている。


僕はあまり運動が得意ではなかったけれど、彼女に誘われて、バスケットボールのサークルに参加をしてみる事にした。

経験者ばかりなのだと覚悟をしていたけれど、思いのほか、ほとんどの人が、素人が見ても分るくらいに不慣れな手つきでボールをドリブルしていた。

社会人になってまともに運動なんてしていない僕は、シャツの色が変わるくらいに汗をかいた。

楽しげな空気が漂うこの空間と、精いっぱいの声援を送る彼女の笑顔がとても居心地が良かった。


それから数回、僕もバスケットのサークルに足を運んだ。
運動後にみんなでファミレスに行き、たわいのない会話をするのも、楽しみのひとつだった。

ある日、バスケット終わりのファミレスに僕と彼女しか参加しないタイミングがあった。

いたって変わらない態度の彼女と、少し緊張してしまう僕。

彼女はチキンのグリルを、僕はサバ煮定食を注文した。

彼女はよく笑うし、誰にでも話しかけるが、実はそんなに口数が多い方ではない。

料理が好きだという子には、何が得意料理なのか、作ってみたい料理はあるのか等を質問し、相手が話しやすい環境を作って、彼女は聞き役に回る。

こういうパターンが多く、この時も、僕にいろいろな質問をしてきた。

仕事は何をしているのか。休みの日は何をしているのか。趣味は何なのか。

車が好きだと答えると、乗っている車種を聞かれ、大手自動車メーカー2社が共同開発したスポーツカーに乗っていると、僕は写真を見せた。

車種の特徴や、これに乗ってサーキットも走っている事を伝えると、彼女は「すごいね」と子供みたいにはしゃいだ。

僕は瞬間、「よかったら、乗ってみますか?」と彼女に提案した。

彼女は少し面食らった表情をしたが、次の瞬間、嬉しそうに顔をほころばせた。

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この日の夜、よく耳にする彼女の鼻歌はさらにリズミカルだった。

あなたに出会って私の世界は変わったという歌詞を、さっきから繰返し口ずさんでいる。
グラスに入った大きな氷がカランと気持ちのいい音を響かせた。

僕はまどろみながら、彼女の動きを観察していた。瞼が重くなり、ポテンとベッドに横たわる。

「もう寝るの?」楽しそうに彼女がギシリと僕の横へ移動した。

僕は眠たい意識の中、彼女にすり寄った。

彼女のあたたかな体温が、さらに眠気を加速させる。

僕と彼女は身体をピタリとくっつけて、共に夢の海へと沈んでいった。

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冬が本格的に訪れる前の峠を彼女とドライブしたあの夜から数カ月が経った。

僕と彼女の付き合いは、大きな問題は無かったと思う。

照れ屋な彼女は懸命に、僕に好きである事を伝えてくれるし、

仕事が長引き、遅く帰ってきた時は手料理で僕を迎えてくれる。

僕にはもったいないくらい素敵な女性である事は違いない。幸せだった。

彼女とこのまま家庭を持ち、過ごしていく未来は、絵に描いたような幸福だった。

そうなる事を僕は望んでいたと思うし、しっかりした意思表示は無かったが、彼女も僕との未来を考えている節はあった。

ただ、彼女との日々を過ごす中で、僕の中である不安がむくりと起き上がった。

彼女は明るく、朗らかで、家庭的な女性ではあったが、自由を強く望む女性でもあった。

彼女の社交性はどんどん彼女の交友関係を広げていくものであり、彼女はその友人達との時間を大切にする為に、多くの時間を彼らと過ごしていた。

それは男女問わずで、ある時、日が変わっても飲み会から帰ってこない彼女に連絡を取ると、男友達と二人でまだ飲んでいるという事だった。

僕は誰とでも分け隔てなく接する彼女に惹かれていた事は事実だが、こういう小さな不安が積み重なり、それがしだいに彼女に対する不信感へと変わっていった。

僕と彼女が付き合いだしてから最初の春を迎える頃、社内の人事が行われ、僕の環境にも大きな変化があった。

僕は心の中の黒い部分に目を向けない様にして、仕事が忙しくなるから、しばらく会うのを控えたいという内容の短いメールを彼女に送った。


彼女からは僕の体調を気に掛ける内容と、落ち着いたら連絡をくれるようにというメールが送られてきていたが、僕がそれに返事をする事は無かった。

僕の心に、あの時感じていた幸福感は蘇らなかった。

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彼女はさっきから死んだように動かない。

寝てしまったのかと思ったら、腕で目元を隠しながら、静かな部屋の中で身を震わせて泣いていた。

声は出していないが、たまに苦しそうに息が漏れている。

数年前に付き合っていた男性と別れた時も一晩中泣いていたものだが、この彼女の押し殺した悔し涙は、あの時のもっと純粋だった彼女のものとは大きく違う。

何度も苦難や失敗を経験した者が見せる涙である。

感情をひたすらに発散させるのではなく、糧にして自分の精神の軸をつくっていくような強さがある。

だからこそ、僕は彼女の傍にずっと一緒にいてあげようと思う。

この命尽きるまで、彼女の成長を見守っていこうと思う。

僕は静かに彼女に寄り添い、声をかけた。
「にゃーお。」

彼女は僕に一瞥をし、胸にそっと優しく抱きかかえた。

泣かないで。 僕はずっと君の傍にいるよ。

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