ネット喫茶.com

オリジナル小説や二次創作、エッセイ等、自由に投稿できるサイトです。

メニュー

飛ぶ鳥の影

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: 志の字
目次

11話

 嫌な快晴だった。空が陰っているように感じるのは、私の目が濁っているからだろう。
 物を映すレンズの質が悪ければ、どれほど美しい景色であろうと、人の心を動かすことは出来ない。
 ……それでも。空を見上げれば私の心は動く。空は私の心を動かす。
 いっそ見上げることを辞めてしまえば楽になれるに違いなかった。傷が痛むから、動かないほうがいいに決まってる。
 母が亡くなった後、私はただじっとして、心に凪を迎え入れた。あの頃の私はぼろぼろのように見えて無事でいた。傷つくことのない平穏の中にいたから。
 けれど今の私は……一度、顔を上げてしまったから。顔を上げて、それを見つけてしまった。
 きれいなものを知ってしまった。
 たとえどんな態度を取られようと、彼女に対する気持ちは何も変わらない。いっそのこと嫌いになってしまいたかった。
 私はすっかり学校を休みがちになってしまった。入学したての頃と似ている。少し違うのは、あの頃は気分や症状が上向きで、徐々に学校へ通えるようになっていたこと。今はその真逆だった。日々、沼にはまったように落ちていくのを感じる。
 今日はいくらか症状が軽かった。ここ数日は天気もいい。
 ただ、失念していることがあった。
 英語の時間。私はまた、雨宮さんとペアを組むことになった。


  ♪


 彼女と顔を合わせたのは、人生で二度目だった。
 彼女は私になにも期待していなかった。また言葉を話せなくなってしまった私を一瞥して、何も言わずに諦めた。煩わしげだった。私はまた彼女に迷惑をかけてしまった。
 一度ならず、二度も現実を突きつけられて、私もまた諦めることを覚えた。
 学期初め。彼女と同じクラスになって浮かれていた私はもういなかった。現実を知って、ごちゃごちゃとしていた頭の中もスッキリとした。重荷が降りたような気がする。諦めとは、こんなにも人を楽にしてくれる。
 だというのに、頭痛だけが収まらなかった。
 耐えられなくなった私はとうとう教師に訴えて授業を抜け、保健室で休むことにした。
「悠ちゃん。頭、冷やしたほうがいい?」
 保健委員だという綾海が保健室まで同行してくれた。保健の先生は出払っており、綾海が看病をすると言って聞かなかった。
「大丈夫だよ。休めば治るから……綾海も、授業戻って平気」
「心配だよ。悠ちゃん、最近休みがちだから……」
 ベッドに横になり、見慣れた保健室の天井を眺める。涙が溢れてきそうになって、目をつむった。
「大丈夫だよ……平気だって」
 一人にして欲しかった。最近、夜はほとんど寝付けていない。心は落ち着かないし、身体はだるくて仕方がない。今はただ、静かに休みたかった。
「一人にできないよ。友だちだから」
 タオルを巻いたアイスノンを私の頭の方へ差し出した。
「ほら」
 言われて、私は頭を上げた。綾海が枕の上にアイスノンを置いてくれた。ひんやりとして気持ちがいい。いつのまにか頭が火照っていたらしい。
 綾海が私に微笑んだ。その理由はわからなかったけれど、どうしてか心が落ち着いた。
「寒くはない?」
「……平気。ありがとう」
「よかった。寝不足だったかな? このまま寝る?」
「……うん」
 ぱち、と音がして保健室が暗くなる。綾海が電気を落としてくれたらしい。
 不思議だ。私が寝不足だなんて、言ったつもりはなかったけれど。綾海には分かっていたらしい。
 厚い布団が暖かくて心地いい。このまますっと眠りにつけそうだった。胸に安堵が広がる。じんわり心がポカポカとしてくる。
「おやすみ。悠ちゃん」
 綾海が仕切りのカーテンを閉めようとする。私は思わず声を漏らしていた。
「あ……」
「どうしたの? まだ、なにかして欲しいこと、あったかな」
 綾海が笑っている。視界が歪んだ。涙が、私の頬を伝っていた。
 迷惑をかけたくなくてすぐに涙を拭ったけれど、止まることはなかった。いま涙が溢れる理由は自分でも分からなかった。ただ、ずっと泣きそうな気持ちを堪えていたから……それが、ふと溢れ出しただけ。
「……なんでもないの。ありがとう」
「うん」
 彼女の笑みはまるで花のようだった。小さな桃色の花びら。可憐で奥ゆかしい。頼りなく手折られてしまいそうに見えるけれど、どこか芯の通った強さを感じる。
 ……不思議な人。それは第一印象から変わっていない。
 綾海は内側から仕切りのカーテンを閉めて、ベッド脇の椅子に腰掛けた。
「泣くほど辛いこと、あった?」
 優しい声だった。どうしてだろう、胸のあたりがぼんやりと火照る。綾海に言葉を返そうとした。声は嗚咽になって、上手く言葉にならなかった。
 布団を頭から被って顔を隠した。人に泣き顔を見られたくなかった。
 私が泣き止むまでしばらくかかったけれど、その間、綾海はそこにいた。ただ静かに。どんな顔をしていたかは見えなかった。でも、優しい顔をしていることだけはなんとなく分かった。
目次

※会員登録するとコメントが書き込める様になります。