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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
目次

第51話

 あの神社での奉納武道大会から数ヶ月。ふたりが出会ってから季節が変わり、春を迎えた。もう冬休みはとうに終わり、直次は寿美花の家を出て、日向家に戻った。学校が始まったので、悠寿美苑での手伝いを毎日するというわけにはいかない。
 けれど、あの奉納武道大会で兄の直一と戦い、巴投げで一本取った時、はっきりと何かが変わった。直次はこれまで古武術を介護に応用しようとし、そしてその逆に介護が古武術にいい影響を与えていたのだ。
 ある寂れた街角に、忘れ去られたような山寺のような苔むした瓦屋根を持つ、杉材の門がある。その門柱には、二枚の檜の板が掛けられていた。一枚は「日向風姿流 古武術道場」。そしてもう一枚は、
「日向風姿流 介護術道場」
 という真新しい板だ。
 元日向風姿流古武術道場、現日向風姿流古武術道場兼日向風姿流介護術道場から威勢のいい掛け声が聞こえてきていた。まるで数十年の時を遡ったかのように熱気が蘇っていた。
 今、直次の目の前には、ずらりと並んだ名札掛けに掛けられた名札が見える。彼の左手にはぎっしりと四、五枚ほどの名札があり、右手で順番に一枚ずつ釘に掛けていく。
 すべて掛け終えて、後ろを振り込むと、数ヶ月前なら信じられないような光景が目に飛びこんできた。
 道場には大勢の人がいた。
 特に目を引くのは、広い道場の半分のスペースにいる、エプロン姿の介護職員たちだろう。要の姿もある。彼らは、特別に道場に運び入れたベッドと車椅子を囲んで、いろいろと意見を出し合って、日向風姿流介護術の研究と実践に取り組んでいた。
 もう半分のスペースには、老若男女が古武術に精を出している。なんとなく古武術に興味はあったが、門下生がふたりしかいないところに入門する勇気がなかった人々だ。彼らは介護職員たちが連日のように通い、活気が出てきた日向風姿流古武術道場を見て、入門してきた。また、中にはあの奉納試合での兄弟の熱戦を見て、興味を持ったという物好きさえもいた。
 正直、ここまで来るのは大変だった。なにせ母は古武術に固執している。古武術は武術であるという信念を決して曲げることはなかった。結局は、師範代である日向直一と、日向直次が日向風姿流介護術を研究し、古武術の応用を指導することになった。師範である日向栄は従来通り古武術のみを指導している。
 介護術の門下生も、古武術の門下生も交流があるし、日替わりで両方習う者などもいる。
 介護職員たちの評判は上々だった。技術としてはまだまだ研究の余地はあるものの、純粋な筋力アップというのは、腰痛などの体を壊す原因を遠ざけることができる。古武術の稽古は全身を使い、足腰から腕の筋肉まで満遍なく鍛えられる。結果、ここに大勢の悠寿美苑の介護職員が通うようになってから、体を壊して、仕事を休んだり、やめたりする者が激減した。
 ひとり無目的に単調な筋力トレーニングをするのは嫌がる介護職員たちも楽しく学べるということで好評だった。その他にも、近隣にいる高齢者の夫婦や主婦なども通ってきている。悠寿美苑のような安価で入居できる特養は待機者が大勢いて、順番待ちの状況だ。政府もできるかぎり自宅で面倒を見るようにという方針だし、介護術を覚えておいて損はないからと通ってくれている。
 これだけの門下生がいれば、日向風姿流の道場も安泰だった。
 直次は「ランニングに行ってきます」と師範と師範代に告げ、家を出た。途中無意識に河原で立ち止まりそうになるほどペースを落としたが、もう一度走りだし、そのまま通りすぎた。途中、ドラッグストア前で寿美花に出会った。
「よう!」
 直次が声をかけると、両手に大きなレジ袋を四つもぶら下げた寿美花が、首を後ろに向けた。
「あら、直次くん……稽古の途中?」
「いや、稽古はここまで。それ持つよ」
 直次は寿美花から半分荷物を受けとる。
「ありがとう」
 ふたり並んでいつかも歩いた通りをゆっくりと足を進める。頭上に咲く桜並木が綺麗だった。
「本当によかったね、まだ夢みたい。悠寿美苑に要さんややめた職員さんたちが戻ってきたり、腰痛になる人が減ったり……」
「ああ、俺もうちの道場がこんなに繁盛するなんて思いもしなかったよ。あの好地山涼子もあの奉納試合以来会ってないしさ」
 あのふんぞり返ったような偉そうな態度の女が、まったく顔を見せなくなったのはほんの少しだが、寂しさを感じさせた。
「うちの老人ホームは、古武術道場のおかげで、人員の不足を免れたし」
「俺んちの道場は、老人ホームの職員さんたちが通ってくれたおかげで、また昔のような賑やかさを取り戻した」
 ふたりは顔を見合わせて、笑った。自然とレジ袋を片手で持って、互いに手を絡めた。
 明るい春の陽射しの中、ダークな色のスーツを着た女とばったり出くわした。一瞬、その女はやや驚いた顔を浮かべたが、すぐに強気な表情に戻り、腕を組んだ。
「あら、元経営難の特養の一人娘と、潰れる寸前だった古武術道場の弟じゃない?」
 数ヶ月ぶりにあったのに、相変わらずの毒舌を披露したのは、好地山涼子だった。
「好地山さん、お久しぶりです」
 余裕の表情で返す寿美花。彼女の手が仲良く直次と繋いでいるのを見て、不愉快そうに片方の眉を上げて、好地山涼子は呟いた。
「まったくもって春ね。わたし、この季節って嫌いだわ」
「本当にお久しぶりですね。なんでうちの道場にもう来ないんですか?」
 直次がそう訊ねると、
「嫌みぃ?」
 と嫌そうに顔をしかめられた。
「いや、そういうわけじゃ……」
「もうアンタんとこの道場を買い取るなんて無理でしょ? あんだけ繁盛してちゃ。それにね……」
 組んでいた腕をほどいて、好地山涼子はバッグから名刺を取りだして、直次と寿美花に手渡した。見ると、あの大具池不動産の名刺ではない。
「もうやめたのよ、あの不動産屋。いろいろとそりが合わなくなってね。ま、でも、ゴージャスな生活を送るってのは諦めてない。不屈の精神みたいなやつを学べただけでも充分よ。……給料はがくっと下がったけどね」
 最後につけ足すように言ったが、その一言が一番実感がこもっていた。かなり憎々しげな様子だった。
 それだけ言うと、好地山涼子はさっさと去っていった。相変わらず人の話を聞かないというか、強気な性格のままだった。
 直次と寿美花はそんな彼女を見送った。
 悠寿美苑が見えてきた頃、直次はぽつりと呟いた。
「古武術を使った介護って面白いよな……」
「え?」
「だってさ、古武術という戦場のなくなった今の日本からは廃れていくばかりだった技術が、介護という日本の新しい課題に利用されている……。もとは人を倒し、殺すことを目的とした技が、人を活かす技に取り入れられようとしている。そのギャップが、なんとも言えず凄い気がするんだ」
「そうね……たしかに古い技術と新しい問題……人を殺すための技と人を活かす技……言われてみると対照的かも。水と油みたいに……なのに、混ざり合った」

 数年後、悠寿美苑にて。
「はぁー……っ」
 古武術っぽい呼吸法で力を蓄えている、小柄な介護職員が、利用者の居室にいた。息をゆるやかに吸って、吐いて、吸って、と繰り返し、両手は太極拳のように動かす。
 ベッドに腰掛け、車椅子に移乗する予定なのは、あの要が腰痛になったきっかけの元大相撲関取である俵山老人だ。
「それじゃあ、動かしますよ……」
 楽々とスムーズに、ほとんど揺らすことなく、巨躯の俵山老人を、小柄な介護職員が移乗介助することに成功した。
「……ほいさっ!」
 勝ち誇るような日向風姿流介護術を身につけた介護職員の声が響き渡った。


  END
 この物語はフィクションです
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