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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第41話

「くっそう! 上から目線でえらっそうに! おいらはてめえの何倍も生きてるんだぞ! こんなのまぐれに決まってらあ! さあ、もういっちょ勝負だっ!」
「何を言っておる。悠寿美苑の将棋四天王の名を汚しおって……。わしが新一さんの仇をとってやる。まあ、見ておりなさい」
 数十分後。
「参りました……ぢゃ」
 がっくりと、肩を落とす留吉老人。それを見ていた観客たちはいつのまにかずいぶんと増えていた。誰も彼もが車椅子でひしめき合い、囁き交わしている。
「くそう。もうすぐ昼食ぢゃな」
 留吉老人が悔しげにそう言ったので時計を見ると、確かにもうすぐお昼だった。確か悠寿美苑の昼食は十一時半と決まっている。おそらく寿美花も同じくらいの時間に食事を摂ることだろう。会う必要があった。
 畳に正座していた直次は、立ち上がった。
「待て! 午後にもう一勝負ぢゃ! 逃げるなよ、坊主っ!」
「はいはい、わかりましたよ。留吉おじいさん」
 どうしてもその子供のように悔しがる様子に笑みが浮かんでしまうし、返答もそれに応じた気安い感じになってしまった。馬鹿にされたとでも思ったのか、留吉老人は顔を赤くして唸った。
「うぬぬ……首を洗って待っておれよ!」
 寿美花は直次を迎えにちょうど談話室にやって来るところだったらしく、談話室を出たところでばったりと出会った。
「お疲れさま、直次くん。……けっこう疲れるでしょ? おじいちゃんやおばあちゃんの相手って」
「いや、……意外と楽しませてもらったよ」
 事実、直次は我知らず笑みを浮かべていた。
「食事はバルコニーで摂りましょう。ママが作ってくれたサンドウィッチがあるから」
 寿美花は持っていた大きめのバスケットを掲げてみせた。
 バルコニーからの風景はなかなかだった。この辺りは街外れに辺り、高いビルは少ない。田園地帯のほうを向いたこの二階からは、意外なほど遠くの景色が見えて、澄んだ青空もよく眺められた。
「さあ、どうぞ」
 バスケットの中に綺麗に入ったいくつものサンドウィッチ。白い食パンに挟まれて、赤やオレンジなど陽光の下で輝いているように見えた。あれ? 赤やオレンジ? そう思って、直次は赤いサンドウィッチを摘んで「いただきます」と言って食べた。甘い味が口内に広がる。いちごジャムだ。風に乗って甘い香りが漂ってくる。
 よく見ると、赤はいちごジャム、オレンジはマーマレード、茶色はピーナッツクリームなどで、甘い系統のものが半分以上ある。たまごやハム、野菜などの定番も見つけて、ほっと息を吐いた。
 直次はもくもくと、できる限り甘くないものを食べた。古武術道場で育ったためか、食べ物に対して注文をつけることは恥ずかしい事だという認識があったため、何も言い出せなかった。
 午後も将棋を行ったが、直次は負けた。勝ち誇る留吉老人の前で、甘い物の食べ過ぎでもたれた胃を押さえる直次。彼は時計を見て、ちょっと青ざめた。三時はおやつの時間。寿美花の母から家に戻ってくるように言われていた時間だった。まだ朝食のホットケーキと昼食のいちごジャムやピーナッツクリームが混ざり合っているような感じがした。
 西園寺家に三時に戻ると、にこにこした西園寺初依に出迎えられた。彼女は歓迎のつもりらしく、笑顔でシナモンドーナツを大量に直次の前に置いた。寿美花は、食べられないと素直に断っている。だが、直次は好き嫌いはないと今朝言った手前もあるし、何より、
「あのね、わたしってば、お菓子作りしか取り柄がないのよ。でもね、その代わりお菓子にはけっこう自信があるの。しばらく仕事を休むように言われて暇だし、お菓子作りが大好きだから、日向さんがうちにいる間は、いっぱいどんどん作ってあげるね?」
 などと嬉しそうに言われては、「もう食べられません」の九文字を吐くことは直次には決してできそうになかった。
 そんな台所のテーブルでシナモンドーナツをぱくついていると、直次は甘い不吉な匂いを嗅いだ気がした。匂いは、キッチンのほうからだった。
 そちらを向いて、直次はできるかぎり平静を装って訊ねた。
「あの……夕飯は……」
「夕飯はカレーよ。はちみつとリンゴがたっぷりの。よく煮込むのがコツなの」
「……そうですか」
 直次は眼前にまだ山のように盛られているシナモンドーナツを見つめた。朝食の席で、甘い物は多少は苦手だとでも伝えておくべきだったと心から後悔した。改めて考えてみると、寿美花は適度に甘いものを食べないようにして、野菜ジュースなどを飲んで健康を気遣っている。母親の西園寺初依のほうも、にこにこしながらこちらを見ているだけで、シナモンドーナツに手を伸ばしたりしない。どうやらこのドーナツの山を直次ひとりが片付けないとならないらしかった。
 家では和食ばかりで、割と質素な食生活だったし、お菓子も普段食べない。甘いものは苦手ではないと思っていたが、もしかしたらこれをきっかけに苦手になるかもしれないと直次は思うのだった。
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