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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第16話

 柔道着の胸元に抱き寄せられるようにして顔を寄せた寿美花の顔には、驚愕の表情が浮かんでいる。
「……凄い。……直次くんってこんなに凄かったんだ……全然古武術なんて凄くないって顔してるから誤解してたけど。……稽古もサボってばかりってわけじゃなかったのね……」
 直次は、初めて抱きしめた少女の柔らかさにどぎまぎしながら答えた。その顔は照れくさそうに天井を向いている。
「まあ、ガキの頃はなんの疑問も持たずに毎日毎日稽古してたからな。今だってそれなりにやってるし」
「古武術って凄いのね」
 寿美花は古武術の技術に驚いて、抱き合っている状態にも気づかず、胸に顔を預けたままだ。
「まあ、武術ってのは技術だからな」
 照れている直次は、普段なら語らないような講釈を始めた。
「現代武道と呼ばれる剣道や弓道や柔道などは、技術の習得よりも精神を磨くことを重視しているんだ。ほら、『道』って書くだろ? 『道』を追求するっていう精神論が前面に出てるんだ。それに対して、武術、剣術、古武術といったものは『術』に重きを置いている。肉体を使った精妙な技術を学ぶことを目的としているんだ」
「そうなんだ。直次くんって、物知りだね」
「いや、ほとんどお袋の、師範の受け売りだ」
「もしかして、華道や茶道が『道』ってつくのも、そういう精神性を大事にしているってことなのかな?」
「たぶんそうだろうな。華術や茶術と呼んで、技術を追求したりはしないみたいだしな」
「日向さん、今日はご迷惑をお掛けした上に、後片付けまで手伝って頂いて……あら?」
 寿美花の母、西園寺初依が玄関に顔を出したのだが、抱き合うセーラー服姿の娘と稽古衣の少年を見て、驚きに目を丸くした後、目元だけで微笑んで、無言で去っていこうとした。
「ママ! ちょっと待って! 無言で引き返さないで。何か言ってよ!」
 やっと抱き合っていることに気づいた寿美花は、顔を赤らめて母親に叫んだ。ひょっこりと角から顔だけ覗かせた寿美花の母は年齢よりも仕草も外見もずいぶん若く見えた。
「あら? 何か言っていいの?」
「……もうっ」
 寿美花が照れ隠しに怒った声を出した。
「そう、あれはまだママが寿美花くらいだった年の頃、パパと初めてキスしたのよ。やっぱり年頃になると、ねぇ……。奥手だと思ってた寿美花がいつのまにかこんなに大胆に……。でもね、老人ホームの玄関で抱き合うのはやりすぎだと思うの」
 真っ赤になった寿美花は、母の口を塞ぐためか、すぐさま一本歯の高下駄を脱ぎ、母親に向かってどしどしと足音高く迫っていった。直次は赤い顔をして、そそくさと老人ホームを後にした。

 あのクリスマス会の翌日、物静かな街の一角を、セーラー服姿の西園寺寿美花が、地図の書かれたメモを片手に、もう片方の手には菓子折りの入った袋を提げて歩いていた。
「……確か……この辺りに……」
 しばらく歩くと、見逃しようのない立派な門が見えてきた。
 近づくと、瓦屋根を支える古びた杉材の門柱に、立派な檜の板が掛けられて、目的地がここだと告げていた。メモをポケットにしまった。
「日向風姿流古武術道場……。直次くんの家って立派なのね……」
 思わず門を見上げた。
 インターホンがどこかにないかと見回したが、どこにもない。どうやら入るしかないらしい。
「……お、お邪魔しまーす」
 何もやましいことなどないはずなのに、かすかに声が震えた。直次くんがなぜか老人ホームの敷地の手前で立ち止まった姿を思い出した。寿美花にとっては慣れ親しんだ、第二の家のような悠寿美苑なので、あの戸惑いやためらいは意外なものに見えたが、こうして逆の立場になってみるとよくわかる。自分にこれまで関係のなかった、見慣れない場所に向かうのは緊張するものらしい。
 門の向こうには、庭園が広がっていた。かすかに風に揺れる楓や松の下を道なりに進むと、やがて二股に道が分かれていた。片方は母屋に、もう片方は古武術道場に繋がっているらしい。ほぼ直進するように続く道のほうが、母屋のようだ。間違っていても別にまた戻って来ればいいだけなので足を進めた。
 母屋の玄関が見えてきた。何気なく横に目を向けると、濡れ縁の前に、ちょっとした池があった。
「へぇ……池まであるんだ……鯉とかいるのかな?」
 気になって、池のほとりに近づいた。
 そっと覗き込もうとした瞬間、
 ざぶんっ! と、池の中から真っ黒な人影が、両手を上げて現れた。驚きと恐怖で、その人影が二メートル以上もあるように感じられ、しかも襲いかかってくるように思えた。
 寿美花は菓子折りを投げ出すように、大きく尻餅をついた。動悸の激しくなった胸を押さえ、恐怖に引きつった顔を、その相手に向けた。
 どう見ても、不審者である。
 全身は黒ずくめで、口には細い竹筒をくわえている。黒の長袖長ズボンに黒い手甲、脚絆を身につけ、黒い頭巾を被っているため、白い肌が露出しているのは、目元と口と手の指だけだ。
 不審者は細い竹筒をくわえるのをやめて手で持ち、口当てで口元を隠した。ぽたぽたと、雫がその口当てから落ちているのが不気味だった。まるで怪物が涎を垂らしているように寿美花には見えた。
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