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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第15話

 直次は寿美花の言葉を反芻した。
「生活の場、か――。確かに病院と違うのは、生活感の濃さかもな」
「それはそうと、なんのおかまいもできなくて、ごめんね」
 手を合わせて上目遣いで、寿美花が直次を見つめた。
「そんなこと気にしなくていいさ。ちょうど汚れてた袴も洗ってもらえたし」
「それも、ごめんね。まさかあんな悪戯するとは思わなくて……。そのお詫びと言ってはなんだけど、クリスマス会に参加してくれないかな? 出し物は職員がやる劇が中心で、直次くんにはそれほど面白くないかもしれないけど、うちのお母さんの作るケーキは満足してもらえると思う」
「わかった。是非参加させてもらうよ」
 クリスマス会の準備を頑張っていた寿美花は、嬉しそうに微笑んだ。

 クリスマス会は大盛況のうちに終わった。
 会場となった飾りつけられた食堂には、もう老人ホームの利用者の高齢者たちもその家族の姿もない。いるのは、後片付けをする職員と、彼らを手伝う寿美花と直次だけだ。
 直次の脳裏には、鮮やかな手品を行う留吉老人と、寡黙ながら音楽や効果音をタイミング良く使う伊藤老人のコンビが浮かんだ。他にも、サンタとトナカイの劇などもあり、料理のほうもなかなかだった。特に、寿美花が自慢するだけあって、彼女の母親が作ったというケーキはとびきり美味しかった。
「直次くん、ありがとう。後片付けを手伝ってくれて」
 セーラー服姿の寿美花が、直次にお礼を言った。クリスマス会に出席する時にジャージから着替え、髪も整えていた。その姿はおむつを持っていた姿と違って可憐で、直次はそんな彼女から感謝されて照れた。
「十分楽しませてもらったし、そのお礼だよ。別に気にしなくていい」
 クリスマス会が終わる頃には柔道着と袴が乾いたので、直次は稽古衣に着替えていた。
 ふたりは、クリスマスツリーの飾りを取り外し、箱の中にしまっている最中だったが、直次が手を止めた。
「……ただちょっと気になる雰囲気があったな」
「気になる雰囲気? 何のことかしら?」
 直次の言葉に、寿美花も手を休めた。
「無理してはしゃいでる感じがしたんだ……誤解かもしれないけど」
「そう……直次くんって勘が鋭いのね」
 寿美花は無理した様子で少し微笑んだ。そして、直次に近づき、視線を伏せて声を落とした。
「誤解じゃないわ……今日ベテランの介護職員である要さんが移乗介助の最中に腰を痛めてしまったの。それだけじゃなくて、ちょっと前にも同じように体を壊した人がいて……正直、今はかなり人手が足りなくなってきているのよ」
「それでその嫌なことを吹き飛ばせるように、元気を出していたわけか……」
「そういうこと」
「想像以上に老人ホームの仕事って大変なんだな……」
 儲かるんだろう? と訊ねた時、寿美花が怒った理由が今更ながらよくわかった。

 玄関に、後片付けを終えた直次と、彼を見送りに来た寿美花が、並んで立っていた。クリスマス会の終了直後は、帰宅する利用者の家族で混雑していたが、掃除で時間がずれたため、今はふたりきりだった。
「今日はいろいろとごめんね、直次くん……。留吉おじいちゃんは悪い人じゃないんだけど、元手品師だからか、人を驚かせるのが好きなのよ。それに高校生くらいの男の子がやって来ることは珍しいからちょっとはしゃいじゃったんだと思う」
「正直はしゃぎすぎだと思わなくもないけどな……」
 直次は苦笑して、
「でも、もう気にしてない。心配しなくていいよ」
「そう……ありがとう」
 寿美花は安堵した。その目が、直次の一本歯の高下駄に留まった。
「ねえ、その下駄すごく変わってるね。歯がひとつしかないし」
「ああ……」
 直次は一本歯の高下駄をひょいと持ち上げ、
「これは一本歯の高下駄って言うんだ。古武術の体捌きを身につけるために、古くから稽古に使われている。見ての通りバランスを取るのが難しい。手で釣り合いを取ろうとしたって間に合わないし、だから自然と体幹部でバランスを取る癖がつく。立つだけでも素人には難しいんだ」
「へえ、面白そうね。わたしにもやらせて?」
「やめておいたほうがいい。本当に難しいんだ」
「むっ」
 寿美花が顔をしかめた。意外と負けず嫌いな性格らしい。
「でも、あなたはこれで走ったりできるわけでしょう? だったら、立つくらいわけないわよ。ね、わたしにもやらせて?」
「本当に知らないぞ」
 もう一度念を押すが、寿美花の意志は変わらなかった。直次は仕方なく寿美花が履きやすいように一本歯の高下駄を彼女の前に並べた。
「わたし、これでもバランス感覚に自信があるんだから……小学生の頃、平均台とか得意だったし、一輪車だって友達より早く乗れるようになったのよ」
 そう軽口を叩きつつ、寿美花は無造作に一本歯の高下駄を履いた。ごく普通に直次が歩いているのを見ていたためだろう、本当に無警戒だった。
「きゃっ」
 小さく悲鳴を上げて、セーラー服姿の少女は、両腕を広げてバランスを取ろうとしたが、まったくバランスが取れず、腕をぐるぐると振り回しだした。
 こけそうになる瞬間、直次は寿美花を抱きとめた――。
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