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スイと狼殿

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: そばかす
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第40話

「あたしも昔、パルスの森で魔物の狼の子供を拾ったの。黒い美しい毛並みに、ルビーのような瞳。一目で気に入って、家に連れて帰ろうとしたの。そしたら、その黒い狼の子供がイヤがるのなんのって――」
 黒い狼の子供は、人間の子供に捕まると嫌がったが、子供が大音量で泣き出すと、あきれたように見て、仕方なくその胸に体をあずけた、とスイは語った。
「それで、あたしも、ナハトと同じようなことが過去にあった。村中大騒ぎで大変だった。けど、全然、全然、いやな思い出なんかじゃないよ」
 スイは、小刻みに震えているナハトを見た。ナハトが感動しているのかと思ったら、顔をあげたナハトはスイを罵倒した。
「お前か! お前だったのか! あの少年は!!」
 ナハトのトラウマにさえなっているあのピーピーいう泣き声と、その上やたら親しげなガキんちょ。
「なに? 少年って?」
「馬鹿! 気づけ! あんな小さな村にそう何度もそんな話があってたまるかっ。それにな、俺様のような漆黒の毛並みかつルビーのような美しい瞳をもつ狼なんざ、俺の知る限り俺様しかいねえ」
 ナハトの父も同じような狼になれたが、魔界の都を離れたなどという話は聞いたことがないし、そもそもさきほどのスイの話とナハトの記憶はぴったりと符合していた。魔物の狼の身体の成長は人間と同じくらいで、ふつうの狼よりも遅い。だから時期もぴったりだ。
「おい! なんとか言え!」
 今度は、スイがベッドの上で上半身を起こした姿勢で、肩を小刻みに震わせている。その両手が拳になった。
「…………おとこ」
 ボソッとした声だったので、聞き逃したナハトはスイにつめよるようにスイの顔に自分の顔を近づけたが、いきなりスイに頭をポカリと殴られた。
「男って何! 少年ってなんでよぉぉぉ!」
 スイはぽかぽかとナハトを叩いている。
 頭を叩かれたナハトは身を引いた。
「お前が、男女なのがよくないんだ。ガキの頃とはいえ少年にしか見えなかったぞ!」
 ナハトは当時のスイを思い出して言った。ざっくばらんに切られた髪。活動的な瞳。そして、たったひとりで森のなかで平気で遊んでいられる豪胆さ。まさしく男だ、とナハトは内心うなずいた。
「男女はナハトじゃない!」
 スイがすかさず叫んだ。さすがにこのセリフにはナハトもとっさに返せない。
 スイとナハトのいつもの痴話喧嘩がはじまった。
 エスカリテは正直あきれてものが言えなくなっていた。あまり好意的とは言えない視線をスイとナハトに向けていたが、隣に立っていたアスラム王子がなにか小さくつぶやいたので、アスラム王子を見た。
 アスラム王子は青い瞳で、スイとナハトをみつめながら、またさっきと同じ言葉をつぶやいた。
「…………退屈しなくてすみそうだな」
 アスラム王子はちょっと晴れやかな顔で言った。実は超王モームの残党が魔物のつてを使って魔界に逃げ込んだので、アスラム王子はナハトにその追撃を依頼しようとしていたのだ。聖王騎士団の者が魔物の領土である魔界に踏み込むと何かと面倒が起こる可能性があるし、踏み込むための外交交渉をしている間にどこかに残党どもに逃げられる可能性があった。それにスイが人質として有用であると敵が判断する可能性もあるから、できたら、スイの身柄はアスラム王子かナハトがあずかるようにするつもりだった。それがいつまで続くのかは、超王計画とその残党次第なので今のところわからない。
 もう別れ別れになると思って涙ぐみだしているスイと、その彼女を慌ててあの手この手でなだめすかして必死になっている妙な魔物を見ながら、アスラム王子はまだこの事は黙っておこうと思った。まだ当分はこのおかしな騒ぎを見ていたい。まことに退屈でない、良い気分だ。
 エスカリテはアスラム王子の「…………退屈しなくてすみそうだ」というセリフと王子のいつもよりもずっと晴れやかな表情を見て、表情をやわらかくした。あらためて、エスカリテは、スイとナハトの様子を見た。エスカリテの口元にちいさな笑みが浮かんだ。けど、それはエスカリテ自身も気づかず、他のだれにも気づかれることもないまま、消えていった。
 アスラム王子はそろそろ頃合いか、と思い、本気で泣き出しそうなスイに向かって、例の超王モームの残党を追う話をした。そしてナハトといっしょに行くか、自分とここに残るか聞いた。
 スイは叫んだ。
「まだまだ狼殿と王子様といっしょにいられるのですねっ!」
 狼殿と呼ばれたナハトも王子様と呼ばれたアスラムも苦笑する。ナハトはフンと鼻を鳴らした。スイはその表情を見上げた。出会ってすぐはその表情が本当は何を意味しているのか分からないこともあったが、いまは違う。スイは、ナハトの浮かべた「まあ、悪くないな……」という表情を見上げて、満面の笑みを浮かべた。
 孤独だった《ウィス》の少女スイと狼殿、王子様たちの冒険はまだまだ続いていくようであった。

  END
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