ネット喫茶.com

オリジナル小説や二次創作、エッセイ等、自由に投稿できるサイトです。

メニュー

スイと狼殿

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: そばかす
目次

第38話

 黒竜は魔竜と呼ばれることもある。その子孫であり、魔界の王子――それがナハトの正体だった。ナハトは父である魔王から直接指示を受けた密命を無事にやりとげた。
 ただ当初の予定通り、一人で、とはいかなかったが。

 聖王都フィラーンの宮殿の一室。
 ベッドの上で、眠っているスイが身じろぎした。あの戦いからさほど時間は経っていない。魔法で眠らされていたが、もうその魔法は解かれた。もう間もなく目覚めるはずだった。エスカリテに借りたドレスを着て、宮殿の天蓋付きベッドに寝かされているため、お姫さまのように見えなくないかもしれない。
 そのお姫さまの目覚めを待つのは、アスラム王子と青年ナハトとエスカリテだ。
 スイは何度か苦しそうにベッドの上で身じろぎしたが、ふいに目を開けて起き上がった。
 そして自分をみつめている三人の顔を眺め回した。
「あ、あたし……えっと…………なんかさらわれた気がするんですけど…………」
 しゃべり方が心許ない。寝ていて、起きたのだから、不自然ではないが、寝ていたベッドが変わり、なぜか服が乱れている。何より、目の前にある三つの顔はみんな薄黒く汚れている。
「さらわれてたんだよ」
 とナハトが事もなげに言い、スイの薄茶色の髪をくしゃくしゃとなでた。
 スイはナハトに頭をなでられながら、アスラム王子とエスカリテに目を向けた。アスラム王子とエスカリテがうなずくと、スイはふいにぽろぽろと涙をこぼした。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「馬鹿、泣くんじゃねえ。俺様がお前を守るってのは約束してただろう? 約束通りちょっと動いただけさ」
 ちょっと動いただけというナハトのセリフに、ぴくっとエスカリテの肩が動いた。黒竜となったナハトのブレス一つで、樹海の一部が完全消滅。ちょっとどころの騒ぎではない。しかし、エスカリテもとりあえずスイを落ち着かせることを優先して、そんなことは口にも表情にも出さない。
 アスラム王子がやさしく笑みを浮かべてスイに言った。
「こわかったんだね? もう大丈夫だよ」
 ナハトに声をかける時とは違う、やさしい声。本当に絵本の王子さまが現実の世界に抜け出してきたかのようだ。
 三人に何度もお礼を言って、スイは涙をぬぐう。聖王騎士団二番隊の赤毛のリズが置いていってくれた甘くて温かいココアを飲んだ。おけげですっかり落ち着いた。
 いま二番隊のみならず、いくつかの聖王騎士団の部隊も忙しく宮殿の中と例の樹海を動き回っている。ナハトの証言でも明らかになったが、モームの部下たち、超王派の残党がいるはずなのだ。首謀者であり、魔物と聖王の重臣が内通していたという動かぬ証拠でもある宰相モームと黒い獅子ザッパーはいなくなった。一段落ついたのでアスラム王子は信頼のおける部下に後の処理を任せていた。リズもその一人として飛び回っている。王宮内ということもあり、優秀な魔法治療班がすぐに駆けつけ、リズを治療した。エスカリテが「リズが助けられなかったことを謝っていた」とスイに伝えると、スイは目元にまた涙を浮かべた。
 これほど多くの人間に気遣われたことなどこの十五年間なかった。《ウィス》であると知られてからはもっとひどかった。さきほど目覚める前にいくつものしゃべり声を夢うつつに聞いていたが、それがすべて自分に対する陰口や悪口だと思ってしまうほどに。パルスの村にいる時いつも周囲から《ウィス》だと罵る声や遠くにいる邪悪な魔物の声が聞こえていた。誰にも聞こえないくらいの声で、スイはもう一度だけ「ごめんなさい」とつぶやいた。仲間を信じ切れなかった謝罪として。その謝罪の言葉は、仮にナハトたちに聞こえたとしても何に対して謝ったのか、ナハトたちにはわからなかっただろう。
 スイは顔を上げて、ナハト、アスラム王子、エスカリテの順に見た。
「あたし、役立たずなだけじゃなくて、みんなにこんなに迷惑まで……」
 一番きびしい顔をしているエスカリテに目を止めた。彼女はいつものように冷然とスイを眺めている。
 アスラム王子が咳払いした。エスカリテはアスラム王子をちらりと見てその意図を察して、口を開いた。
「王宮の警備をあずかる聖王騎士団のひとりとして、客人をこのような騒動に巻き込んでしまったこと、深くお詫び申し上げます」
 アスラム王子はエスカリテをあきれたように見た。アスラム王子の意図がわかっているはずなのに、エスカリテは肝心なことは言わない。
 アスラム王子に見つめられて、エスカリテは不承不承といったようすで、しかし正直な気持ちをスイに伝えた。
「役立たずじゃないでしょう」
「どうして? だって、あたし――」
「あなたがいなかったら、そちらのご友人の力も借りられなかったでしょう。そして、あの変身と一撃がなければ、我々も相当の被害が出ていたと思います」
 エスカリテが青年ナハトを見たので、スイも見た。
 ナハトはいつも通り腕を頭の後ろで組んで、興味もなさそうに話を聞いていた。話に加わる気もないらしいし、エスカリテの褒め言葉も適当に受け流している。その紅の瞳がじっとスイをみつめていた。
目次

※会員登録するとコメントが書き込める様になります。