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スイと狼殿

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: そばかす
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第27話

 エスカリテでさえも我が目を疑う。美しい。けど、なんか背中がぞわぞわした。
 アスラム王子が小さく毒づいた。「これだから、魔物は……」
 そのセリフはエスカリテの心境をよくあらわしていた。これだから魔物は信用がならない。簡単に姿形を変えられるものが大勢いる。人間に化けて油断させて襲ってくる魔物のなんと多いことか。聖王騎士団の一人として戦いの場に赴いて何度となくふたりはそれを経験していた。そういう意味では美男子のナハトが美女のナハトになったとしても驚きは少ない。ただ強烈な嫌悪感だけがある。人にとって顔や姿形は極めて重要なものなのだ。それはただ単に美醜の問題だけではない。今も、アスラム王子やエスカリテの胸に鈍く輝く聖王騎士団の記章のように自分の身分や立場を示すものなのだ。
 黒い長い髪をした紅い瞳の美女は、アスラム王子とエスカリテを見て、軽く眉を寄せて言った。
「一応、言っておくが、好き好んで俺様が女の格好をしていると思うなよ。できれば、こんな格好はしたくなかった。男のままで通すつもりだったが、少々予定が変わった」
 薄く口紅を塗った口から漏れたのは美しい女の声だ。黒髪の美女はアスラム王子の腰の剣、聖剣バルガッソーを見た。ナハトは聖王騎士団を噂だけでしか知らなかった。直接戦ったことはこれまで一度もなかった。ただ人間とは思えないような力をもっている化け物の集団だと同胞たちから聞いてはいた。しかし、噂など面白いようにするために尾ひれがつくのが普通だ。だから、化け物並みではなく、人間にしてはそこそこやるんだろう程度に解釈していた。
 が、いまはその侮りはない。それはアスラム王子と直接戦ったためだ。自分を襲った黒い超巨大な獅子ザッパーとそれに手を貸していたフィラーン人たちの魔道士と兵士。この俺様に手傷を負わせたのだから、あれが敵の主力だとナハトは勝手に思い込んでいた。それだけ自分の力に自信を持っていた。しかし、アスラム王子の強さを目の当たりにして、もしかしたら……、という可能性が捨てきれなくなった。自分が想像するよりも遥かに敵の力が強大なのかもしれない、と。そのため好まない変身魔法まで使うことにした。
「でも、便利だよね。ねね、あたしも変身して美人になれる?」
 ナハトとアスラム王子の対立関係に全然気づいていないかのようにスイは言った。もしスイが声を出さなかったら、両者は無言のまままだしばらく睨み合っていただろう。
「美人にはなれん。俺様が美女に化けれるのは、俺様がもともと美形だからだ」
 ナハトは断言した。変身魔法にもさまざまなものがある。顔の一部の変化から変身まで。ナハトほどの魔法の巧者でも変身魔法にはかなりの制約がある。たとえばナハトは馬には化けられないし、鳥にも化けられない。またお年寄りや子供に化けるのも無理だ。太った男とかガリガリにやせた背の低い女とかも無理。基本の原型――ナハトの場合は黒い狼の姿か黒髪の青年の姿だが、これを元に変化することしかできない。つまり、瞳や毛の色も変えられないし、長身であることも年齢も変わらないのだ。それにメスの狼にもなれないし、人間の女にもなれない。あくまで、化けているだけなのだ。あるものはあるし、ないものはない。利点としてはこの姿でも腕力はいささかの衰えもないし、魔力も十全に使えるということがある。
「さて、いろいろと言いたいことはあるが、結界を張ろうか」
 アスラム王子は部屋の隅に歩いた。他の二人、エスカリテとナハトも申し合わせたように部屋の隅に歩いていく。スイだけはよくわからず部屋の真ん中辺りに立っていた。
 アスラム王子は壁に手をつき呪文を唱え始めた。アスラム王子の全身が淡い白い光に包まれ、その白い光が手をつたい壁へ、壁から床や天井にまで広がる。同じように黄色い光をまとったエスカリテと黒い光をまとったナハトも、それぞれ離れた位置に立って壁に手をつき呪文を唱えた。黄色と黒の光も壁や床、天井に広がる。
「よし。完成だ」
 部屋全体を淡い光が包み込むと、アスラム王子はそう言った。
 スイは部屋を包む白と黒と黄の淡い光を見つめた。
「すごい」
 結界魔法程度に無邪気に感心しているスイを見て、アスラム王子は微笑んだ。無邪気で無知な子供に微笑みかけるように。
 ナハトも、そんなに驚くもんか? と言いたげにスイを見て、さっさと席に戻った。ナハトのあきれ顔は美女になった今もそっくりだった。ただ髪が腰にかかるほど長くなったのが、少々ナハトにとっては邪魔らしく、それをすこし払って席につく。エスカリテとアスラム王子も席についた。
 ぱたぱたとスイは走って、三人を待たせないように席についた。
 アスラム王子は、スイをただ無邪気だと笑っていたが、スイが「すごい」という言葉に込めた意味を知ったら驚いただろう。おおげさな言い方をすれば、歴史的発見といってもよかった。
 さきほどスイは、三人が――種族が違う三人が、全く同じ手順でよく似た呪文を唱えて魔法を使ったことに驚いたのだ。
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