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スイと狼殿

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: そばかす
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第20話

 スイにはナハトが答えに迷ったのではなく「言わないでいいのなら言いたくないし、苦情は山ほどあるが」という枕詞として《…………ふん》と言ったのがわかった。
《ま、荷物だな。今朝も背中に乗せてきたし》
《…………ぐ》
 スイは詰まった。感動に胸が詰まったのはでは無論ない。本当はここで、スイのことを気に入らないが友達だとかなんとか言うと甘い期待を抱いていたのだ。まことに可愛らしくない狼だと思った。同時に安心した。ナハトは相変わらずの毒舌を振るう程度には余裕があるらしい。
《言っただろう? スイ。お前は俺様が守ってやる》
《大切な荷物だからでしょ?》
 ナハトが苦笑して《そんなに根に持つな》と言った。
《それに、誰にも負けないと言っただろう? この状況なら、万に一つも負けないね、クソ王子相手だろうが、かの名高いアスラム・G・グリムナード聖王騎士団団長だろうとね》
《……ほう》
 声だけでも、周囲の温度が二、三度下がったかのようにスイは感じた。それほど冷たい声だった。
《スイ、離れてろ。巻き添えを食うかもしれん》
《わかった》
 スイがうなずいて、断崖から下がろうとすると、エスカリテがスイの背後に回って言った。
《行かせません》
 エスカリテにとって、スイがこの場にいることをナハトが嫌がるのなら、その嫌がるようにすることが任務だった。そうすれば多少なりともアスラム王子の役に立てる。
《行かせてやれ》
 アスラム王子がエスカリテに言う。
《……アスラム様?》
《お前も下がった方が良さそうだ》
 軽い笑いを含んだ面白そうな声。アスラム王子は面白がっていた。かなり控えめにいっても退屈では全くない状況なのだ。
 アスラム王子の声の調子に不審を抱いたエスカリテは、眼下の森を見て、我が目を疑った。
 光の柱が二本に増えている。
 一本は言わずと知れたアスラム王子の狂戦士モードによって生じた白い光の柱だ。
 その白い柱からやや離れた位置で、黒い柱が勢いよく伸び始めている。
 黒い炎のように揺らめいてこそいるが、どう見ても狂戦士モードと同じ種類の光の柱だ。
 その証拠に、黒い柱の背後で、木々が簡単になぎ倒された。まるで巨大な獣がしっぽを振るったかのように造作なく木々がへし折れた。そして白い土埃が上がった。
《この一撃を受け止められたら、貴様の罪を不問にしてやろう》
 アスラム王子の声が重々しく響く。例え死刑囚でも狂戦士モードのアスラム王子からこんなことを言われたら、頼むから断頭台で勘弁してくれと泣き喚いただろう。アスラム王子の放つ殺気は並みの人間を恐慌状態に陥らせる。
《いいだろう。つまらんが付き合ってやる》
 ナハトがそう言った瞬間――。スイにはただ閃光が森を引き裂いたようにしか見えなかった。光で目の前が真っ白になる。スイは目が見えず断崖のそばでふらふらとして、気づかずに崖から落ちそうになった。スイの腰に、ピシッ、という音とともにヒモのような物が絡まり、それによって、断崖絶壁とは反対側に引き倒された。
 光が止んだあと、スイはあわてて起き上がった。
 スイが起き上がる前にすでにエスカリテが下の状況を確認していた。
 もうもうとあがる土煙。
 一直線に煙のように土煙が上がっている。
 その土煙に、スイにもわかるようにはっきりと、二本の黒と白の光の柱が立ち上っていた。
《……よ、よかった》
 スイがそう言って腰を抜かしたのとほぼ同時に、たくさんの罵倒が《ウィス》の言葉で乱れ飛んだ。
《おい! さっさと剣を下ろしやがれ、クソ王子》
《貴様の方こそ、その汚らしい爪で聖剣に触れるな、クソ狼め!》
 エスカリテもふいに力が抜けて倒れそうになったが、すぐに気丈にもちなおした。そして毅然とした声でアスラム王子に言った。
《アスラム様。約束はたがえるものではありません。たとえ魔物相手であってもです》
 エスカリテの真意は、これ以上、得体の知れない敵とアスラム王子を一対一で交戦させるのを避けることだった。敵の能力は驚異的だったが、聖王騎士団が総力を挙げて倒せないほどではない。ここはいったん引き下がり、戦力を整えてから、十分な作戦を練り、打ち倒すべきだった。
 エスカリテはちらりとスイを見る。そして自分の鞭を見た。もう今は腰に巻いて元通りにしまってある。とっさのことだったとはいえ魔物の仲間を聖王騎士団の一人である自分が助けてしまったことに対して、エスカリテは罪悪感を抱いていた。しかし、とエスカリテは思い直した。貴重な人質が手に入ったかもしれないのだ。
 エスカリテの所属する二番隊は、主に諜報活動を担当している。所属している者の大半は女だ。どうしても体力や腕力といった地力で男に劣るため、魔法で補強しても、戦力として女の聖王騎士は男の聖王騎士よりも格下扱いにされていた。そして二番隊は別名女性部隊とも呼ばれている。他の聖王騎士団の部隊にはまず女性はいない。体の良い厄介払い先のように扱われていた聖王騎士団二番隊を現在の地位、ある意味では聖王騎士団十一部隊中最も重要な部隊と言われるまでに地位を向上させたのはエスカリテの力だった。
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