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スイと狼殿

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: そばかす
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第14話

 スイは、聖王グリムナードの子孫にして聖王国フィラーンの王子、聖王騎士団団長アスラム・G・グリムナードに向かって、深く頭をさげて謝った。おそらく聖王騎士団の誰もが謝り方が足りないと思うだろう。聖王騎士団の直轄地に勝手に入り込んだあげく、多忙を極める聖王騎士団団長にして王子であるアスラムをふとんや抱き枕代わりにしていたのだ。
 スイはひとしきり謝ったあと、美しいアスラム王子の顔をほれぼれと見てからつぶやくように言った。
「本当にすみませんでした。……あたし、てっきり知り合いの狼と間違えちゃって」
 アスラム王子の眉がぴくりと動いた。
 ずっと浮かべていたやわらかな微笑が歪んだ。
 きゅっと引き締まった口から、ふぅ、とゆっくりと息が漏れると、アスラムは大笑いした。
 文武、政略あらゆることに対して天才で、家柄も申し分がなく、聖王都でもっとも美しい青年は、声をあげて笑った。
 アスラム王子にとってこの世界は読み飽きた本のように魅力のないものだった。ほとんどすべてに対して予測できる。その王子の心を乱したのは、少女の口走った「狼」という言葉。
 自分が生涯にわたって一度でも人から「狼と間違えました」などと言われると思っていなかったアスラムにとってその一言は痛快だった。
 アスラム王子の背後、スイの正面から一人の美女があらわれた。美女だとスイは思ったが、それほどスイと年齢が離れているわけではなさそうだった。美少女というべきかもしれないが、少女という言葉は明らかに不似合いだ。油断のない理知的な瞳も、均整のとれたプロポーションも、年齢はともかく少女という言葉を拒絶している。背中の中程まであるウェーブのかかった長い金髪は、わずかな木漏れ日にさえも輝き、光の滝をつくりだしている。女性もアスラム王子と同じ白い燕尾服風の服を身につけていた。ただ、ズボンではなく白いミニスカート。そして白いニーハイソックスを履いている。
「アスラム……様?」
 美女がそう不安そうに聞いたのは、アスラムの様子がただならぬ様子だったからだ。アスラムを幼少期からよく知っている美女も、これほどアスラムが笑っているところを見たことがなかった。
 アスラムは目元の涙をぬぐった。
「エスカリテ、たいしたことじゃない。ちょっと笑っていただけさ」
 エスカリテと呼ばれた美女は「はい」と礼儀正しく相づちを打つ。しかし、納得していないのはあきらかだった。けれども、エスカリテはそれ以上問いただしたりしなかった。アスラム王子の周りにいるすべての人間はめったなことではアスラム王子に逆らったりしない。エスカリテの反応が普通なのだ。
「アスラム様、そちらのお嬢様は?」
 大貴族の令嬢であるエスカリテから見れば、小汚い格好をした小娘程度にしか見えなかったが、アスラムのそばにいるため丁重にたずねた。
「ああ、名前は聞いてなかったな。名前は?」
 スイは事態の推移がまったく飲み込めず、ただ「スイです。はじめまして」とだけ答えて、ぺこんと頭を下げた。
「こちらこそ、はじめまして。僕の名前はアスラム・G・グリムナード。聖王騎士団の団長をさせてもらっている者だ。こちらはエスカリテ。同じく聖王騎士団所属で二番隊の隊長をしている」
 アスラムはしばらくスイを見つめていたが、スイが驚きも慌てもしないのを見て、ほほえんだ。
「スイはどっから来たんだい?」
「パルス村です」
 エスカリテは眉を寄せた。聞いたことがないらしい。少なくとも王侯貴族や聖王騎士団に関係の深い村と思えなかったのだろう。
 アスラムは「ああ、パルスか」と言ってうなずいた。「なるほど、そういえば近くに小さな森があったな。それでこの森に誘われて……」
 アスラム王子は何でもないように話しているし、スイはただ「はい」と元気よくうれしそうにうなずいただけだが、アスラム王子の記憶力は凄まじいものだった。聖王国フィラーンの治めている土地は果てしなく広大で、都市や重要な町だけでも無数と思えるほどあるのに、小さな村の名前まで知っていて、ましてその周囲の地形まで頭に入っているというのは信じられないほどの記憶力だった。
 アスラム王子とスイとのちぐはぐだが、楽しげな会話を聞いていたエスカリテはやっと事態が飲み込めた。つまり、田舎娘が聖王騎士団の直轄地に勝手に入り込んだあげくに、アスラム王子に無礼を働いたというのだ。
 エスカリテは白い肌を紅潮させて、アスラム王子に「失礼します」と断ってから、めずらしくアスラム王子の話に割り込んだ。
「そちらの女性はアスラム様のお知り合いではなかったのですね?」
「ああ」
「…………ッ」
 エスカリテは拳を握った。
「まあまあ、抑えて抑えてエスカリテ二番隊隊長」
 エスカリテの怒りの大半は、エスカリテの敬愛してやまないアスラム王子と親しげに会話をしていたことにある。
「僕は女性には優しいんだ。騎士だからね」
 アスラム王子以外の人間が言ったのなら一笑に付されそうなセリフ。だがアスラム王子にはこの上なく似合っている。
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