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スイと狼殿

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: そばかす
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第4話

 ただの巨大な狼というが、並みの狼十頭分くらいの力がありそうだ、とスイは思ったが、何も言わなかった。
《だから魔法は使えない。傷は治せない。この森に隠れることは気に入らないが、仕方ない。近くには人間の集落もいくつかあるようだし、身を潜められる森もない》
《でも、逆に言っちゃうと、この付近にある森はここしかないわけだから、追っ手さんがここを探しに来る可能性はすごい高いんじゃない?》
 それはまさしく黒い狼が「この森に隠れることは気にいらない」という理由の半分を占めていた重要な問題だった。
《そうだ。ちょっと見直した》
《えへへ……》
《頭の軽いおかしな女かと思っていたが、一応、考える脳味噌はあるらしい》
 スイはひさしぶりに怒りを覚えた。ぐっと拳を握る。そしてふいに笑い出した。笑いながら草の上を転げ回った。
 黒い狼は突然大笑いし始めたスイに驚いた。
 スイはうれしかった。とてもうれしかった。こうして誰かに対して怒りを覚えることさえも。《ウィス》だといつも陰口を叩かれた。《ウィス》だと面と向かって罵倒されたこともある。けど、なによりもスイが悲しかったのは無視されること――。
 コミュニケーション能力が先天的に極めて高いスイとはいえ、挨拶の返事さえしてもらえない状況下では全くの無力だった。《ウィス》であることはどうしようもなく、どんな努力も無意味。そしてただ《ウィス》であるというだけで、ひどい扱いを受け、下等だと言われた。誰かと対等に話しあったり、怒ったり、笑ったりすることがどれほどひさしぶりか――。
 それに気づいた時、スイははちみつ色の光をみつめながら黒い狼に向かってこれまでの事を話していた。
 黒い狼はスイの話しに割って入ったり、退屈そうな様子をみせたりしなかった。
 スイの長いようで短い、短いようでぎゅっと濃縮された濃い物語が終わった。スイは《ウィス》として覚醒した事件、黒い子供の狼の話だけはしなかった。どう話してみたところで、それは親友の悪口を言うのと変わりないと思ったからだ。スイの不幸が始まるきっかけのように見える事件だが、黒い子供の狼が何かをしたわけではない、スイはそう思っていた。
《……ねえ、……狼さん、ともだちに、……その…………》
 めずらしく口ごもった。こんな言葉を言うのは本当にひさしぶりだ。
《狼さんなんて気安く呼ぶな》
 黒い狼がイライラした調子で言った。
 スイの肩がおびえたようにびくっと震えた。
 黒い狼はそっぷを向いた。
《俺様は訳あって名前は名乗れない。まあ、さん付けなんて気安く呼ばず、狼殿とでも呼べ》
 スイの肩がふいにぶるりと震えた。そして黒い狼に飛びついた。
《狼殿……狼殿……狼殿……狼殿……狼殿~~うぅううぅぅ…………》
 けっこう傷が深い狼の体に突進するように抱きついて、泣きじゃくるスイを見て、狼はまた人間臭いため息をついた。
 傷が痛んだが、狼は一言も小言をいわずにスイの泣くに任せて、そのやわらかい漆黒のあたたかな毛でスイをつつんでやっていた。

 夜。スイの小屋。
 黒い巨大な狼が小屋に押し込まれるように入っていた。
 夜を待ち、黒い狼をスイは自分の家に案内したのだ。黒く敏捷な狼は村人に見とがめられずにスイの家に着いた。スイの村での立場を示すように、小屋の周りに家はなく孤立していたことも良かった。
 しかし、入ってからが大変だった。
 黒い巨大な狼が身動きできるほどスイの家は広くない。ぎりぎり巨大な狼が寝そべって、スイが座るスペースがあるくらいの広さしかない。
 スイは気疲れしたのだろう、ほとんどしゃべらないうちに大きなアクビをして《おやすみ》と魔物の言葉で黒い巨大な狼に言った。そして、当然のように、黒い巨大な狼の上に寝そべった。まるで黒い巨大なベッド扱いだった。
 はあ、と黒い巨大な狼は、人間の少女を背中にのせたままため息を吐いた。
 黒い巨大な狼がいるだけで、ベッドと床の大部分を占領してしまっているため、スイが寝るには巨大な狼の上だけしかないのは、当然と言えば当然だった。
 背中のぬくもりを感じながら、黒い巨大な狼は少女を起こさないようにじっとしたまま、いろいろと考えていた。
 自分の追っている敵のこと。
 その敵を助けた謎の援軍のこと。
 そして、絶対に近づかないと決めていたパルス村に近づき、あの森の中で人間に出会い、こうしてかくまわれるなどという因果を考えた。
 かつて出会った少年のことを思い出した。利発でやさしげな瞳をした少年。薄茶色の前髪になかば隠れた黒く澄んだ瞳。
 黒い巨大な狼は、その少年と出会ったことで、多くの同胞たちと違って、人間の中にもマシな存在がいることを学んでいた。でなかったとしたら、このスイの心からの行動は本来なら不幸な結末になる可能性が非常に高いものだった。
 聖王グリムナードが聖王軍を率いて、魔物たちの軍勢である魔王軍を打ち破ったのは一九二年前なのだ。古い話だが、古すぎて誰もが忘れ去るほどには時が経っていない。
 黒い巨大な狼は同胞たちが、この聖歴一九二年という年を不吉なものとして考えていることを思い出した。黒い巨大な狼自身、この年は何も起こらなければいいが、と願っていたが、少なくとも一つは大きな問題が起きていた。その全貌はまだつかめていない。だが、必ず阻止するつもりだった。
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