二話 はじまりは雨
「この部屋、好きに使ってくれていいから」
ひとり暮らしなのだから部屋なんてワンルームでいいと思っていた洋だが、時々こっちに戻ってきたいという母の要望を聞き入れ個室が二部屋ある物件を借りることになったという経緯がある。
おかげで駅から徒歩十五分もかかるところになってしまった。
洋としては駅前くらい、歩いても徒歩五分以内が希望だった。
今となっては母のわがままを聞き入れていてよかったと思う。
とはいえ、この二年、母がこっちに戻ってきたことはない。
「あと、着るモノは僕のでいいかな。下着は未使用のがあるからそれを使って。なんなら、明日、必要なものを買いに行けばいいし」
さらに、冷蔵庫にあるものは好きに飲み食いしてもいい、風呂も好きな時に使っていいからと伝え、洋が自分の部屋に戻ろうとした時だった。
なにかに引っ張られて前に進もうとした足が止まる。
振り返ると、翔が洋の服の裾を掴んでいた。
「なに?」
「あ、あの……あり、あり……がと、洋さん」
「いいよ。ああ、それと。僕からおばさんたちに連絡はしない。そのかわり、話せるようになったら経緯を説明してくれると助かる」
そういって、翔の頭を撫でた。
洋の記憶が正しければ翔は今年で高校三年生のはずである。
今時の高校生にしてはやせっぽちで小柄で覇気がない。
そろそろ進路のことも考えなくてはならない時期じゃないだろうか。
翔の全体的な雰囲気は高校生というよりは中学生、もしかしたら小学生くらいかもしれない。
とにかく幼い。
どこかで時間が止まってしまったかのような、そんな雰囲気があった。
「……うん、俺、洋さんは信じてる、から。話すよ」
「今?」
「うん、洋さんが、今を望むなら」
そういって、リビングに移動して椅子に座る。
「いつから帰ってないの?」
「……わからない」
「じゃあ、なんで家出を?」
「知らないところに連れていかれたから、マンションに戻ろうとしただけ」
「え?」
「えっとね、電車乗ろうとしたんだけど、お金なくて。学校の定期は期限切れてて」
「それで歩いて?」
「うん」
「知らないところに連れて……って、どういうこと? もしかして、拉致?」
「ちがっ……お父さんが……」
「おじさんが、翔のことを連れ出したってこと?」
「うん。なんか、もうここに住んじゃダメだって言ってた。学校は卒業までは仕方ないって、だから転校はしなくていいって。でも、大学はあっちで……って。俺、イヤだ。なんであのマンションに住んじゃダメなの。なんで大学はあっちじゃなきゃダメなの? 俺は、帰りたいだけなのに」
「翔、気を悪くしないでほしいんだけど。それっておじさんとおばさんが離婚したってことじゃない? おじさんが翔の親権を持ったってことで、高校を卒業したらおじさんの転勤先に連れて行くってことで、あっちていうのは、そういうことじゃない?」
「……?」
「翔はおじさんと住むのがイヤなの? おばさんの方がいい? 僕は部外者で大川家の本当のところはわからないけど、おばさんのところにいるよりはおじさんといた方がいいんじゃない? おじさんは暴力振るわないでしょう?」
「暴力? 俺、お母さんに暴力されてない。あれは躾。俺がダメな子だから、だからお仕置きされてるだけ」
「……翔。仮にそうだとしても、アザができるくらいのことはもう躾じゃない、暴力だよ。だからね、もし離婚しておじさんが親権を持ったのだとしたら、僕はおばさんには絶対に連絡しない。でも、もしおじさんが捜しているようなら無事でいることは伝えなきゃいけないと思っている」
「えっと……その、洋さんが、そういうなら……」
「ああ、うん。悪いようにはしないよ。とりあえず、今日はもう寝ようか。翔はずっと歩いていたわけだし、休む必要があるからね」
不安そうにしている翔を励まし洋は彼が眠ったのを確認してから、久しぶりに母親に連絡をした。
『あら、洋。あなたから連絡なんて珍しいわね。だからこっちは豪雨なのかしら?』
「豪雨って、大丈夫なの?」
『大変なのは山沿い、こっちはぜんぜん大丈夫よ。それで、わざわざ連絡してきた本題はなに?』
「うん。あのさ、大川翔って覚えてる?」
『覚えてるわよ! 忘れられるはずないじゃないの。あのマンションを引き払うと決めた時、一番気がかりだったのが翔くんのことよ。翔くんがどうしたの?』
「うん……実は、今日偶然再会して、今、僕のアパートにいる」
『え? いるって、ちょっと、翔くんは未成年よ? あなた、まさか、いかがわしいこと、してないでしょうね』
「あのな、少しは自分の息子を信じろよ」
『あら、もちろん信じているわよ。だけどなんで今頃再会なんて。確かあなたが受験で疎遠状態じゃなかった? 引っ越すときも挨拶しなかったでしょ』
「まあ、その話はいいじゃん。それよりさ、ちょっと気になって」
洋は翔が語ったこと、それを聞いて自分なりに解釈したことを母親に話して聞かせた。
その間、母親はただだまって息子の話に耳を傾け、そして聞き終えたところで意外な真実を洋に話して聞かせてきた。
ひとり暮らしなのだから部屋なんてワンルームでいいと思っていた洋だが、時々こっちに戻ってきたいという母の要望を聞き入れ個室が二部屋ある物件を借りることになったという経緯がある。
おかげで駅から徒歩十五分もかかるところになってしまった。
洋としては駅前くらい、歩いても徒歩五分以内が希望だった。
今となっては母のわがままを聞き入れていてよかったと思う。
とはいえ、この二年、母がこっちに戻ってきたことはない。
「あと、着るモノは僕のでいいかな。下着は未使用のがあるからそれを使って。なんなら、明日、必要なものを買いに行けばいいし」
さらに、冷蔵庫にあるものは好きに飲み食いしてもいい、風呂も好きな時に使っていいからと伝え、洋が自分の部屋に戻ろうとした時だった。
なにかに引っ張られて前に進もうとした足が止まる。
振り返ると、翔が洋の服の裾を掴んでいた。
「なに?」
「あ、あの……あり、あり……がと、洋さん」
「いいよ。ああ、それと。僕からおばさんたちに連絡はしない。そのかわり、話せるようになったら経緯を説明してくれると助かる」
そういって、翔の頭を撫でた。
洋の記憶が正しければ翔は今年で高校三年生のはずである。
今時の高校生にしてはやせっぽちで小柄で覇気がない。
そろそろ進路のことも考えなくてはならない時期じゃないだろうか。
翔の全体的な雰囲気は高校生というよりは中学生、もしかしたら小学生くらいかもしれない。
とにかく幼い。
どこかで時間が止まってしまったかのような、そんな雰囲気があった。
「……うん、俺、洋さんは信じてる、から。話すよ」
「今?」
「うん、洋さんが、今を望むなら」
そういって、リビングに移動して椅子に座る。
「いつから帰ってないの?」
「……わからない」
「じゃあ、なんで家出を?」
「知らないところに連れていかれたから、マンションに戻ろうとしただけ」
「え?」
「えっとね、電車乗ろうとしたんだけど、お金なくて。学校の定期は期限切れてて」
「それで歩いて?」
「うん」
「知らないところに連れて……って、どういうこと? もしかして、拉致?」
「ちがっ……お父さんが……」
「おじさんが、翔のことを連れ出したってこと?」
「うん。なんか、もうここに住んじゃダメだって言ってた。学校は卒業までは仕方ないって、だから転校はしなくていいって。でも、大学はあっちで……って。俺、イヤだ。なんであのマンションに住んじゃダメなの。なんで大学はあっちじゃなきゃダメなの? 俺は、帰りたいだけなのに」
「翔、気を悪くしないでほしいんだけど。それっておじさんとおばさんが離婚したってことじゃない? おじさんが翔の親権を持ったってことで、高校を卒業したらおじさんの転勤先に連れて行くってことで、あっちていうのは、そういうことじゃない?」
「……?」
「翔はおじさんと住むのがイヤなの? おばさんの方がいい? 僕は部外者で大川家の本当のところはわからないけど、おばさんのところにいるよりはおじさんといた方がいいんじゃない? おじさんは暴力振るわないでしょう?」
「暴力? 俺、お母さんに暴力されてない。あれは躾。俺がダメな子だから、だからお仕置きされてるだけ」
「……翔。仮にそうだとしても、アザができるくらいのことはもう躾じゃない、暴力だよ。だからね、もし離婚しておじさんが親権を持ったのだとしたら、僕はおばさんには絶対に連絡しない。でも、もしおじさんが捜しているようなら無事でいることは伝えなきゃいけないと思っている」
「えっと……その、洋さんが、そういうなら……」
「ああ、うん。悪いようにはしないよ。とりあえず、今日はもう寝ようか。翔はずっと歩いていたわけだし、休む必要があるからね」
不安そうにしている翔を励まし洋は彼が眠ったのを確認してから、久しぶりに母親に連絡をした。
『あら、洋。あなたから連絡なんて珍しいわね。だからこっちは豪雨なのかしら?』
「豪雨って、大丈夫なの?」
『大変なのは山沿い、こっちはぜんぜん大丈夫よ。それで、わざわざ連絡してきた本題はなに?』
「うん。あのさ、大川翔って覚えてる?」
『覚えてるわよ! 忘れられるはずないじゃないの。あのマンションを引き払うと決めた時、一番気がかりだったのが翔くんのことよ。翔くんがどうしたの?』
「うん……実は、今日偶然再会して、今、僕のアパートにいる」
『え? いるって、ちょっと、翔くんは未成年よ? あなた、まさか、いかがわしいこと、してないでしょうね』
「あのな、少しは自分の息子を信じろよ」
『あら、もちろん信じているわよ。だけどなんで今頃再会なんて。確かあなたが受験で疎遠状態じゃなかった? 引っ越すときも挨拶しなかったでしょ』
「まあ、その話はいいじゃん。それよりさ、ちょっと気になって」
洋は翔が語ったこと、それを聞いて自分なりに解釈したことを母親に話して聞かせた。
その間、母親はただだまって息子の話に耳を傾け、そして聞き終えたところで意外な真実を洋に話して聞かせてきた。
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